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No.274 AKR46

2013/12/06

今回は年末に因んで、この話題

乃木坂でもなければ、秋元康とも、紅白とも関係がない
「赤穂浪士 46人」 を、こう略してみただけです

主君のあだ討ちのため

参集した 47名の旧赤穂藩士たちは、江戸に集結する

大石という優秀な指揮官のもと、町人に身を隠して、情報収集活動を続け、幕府役人の目を盗んでは集まり、吉良邸襲撃の計画を話し合ったに違いない

江戸に溶け込み、怪しまれないためには赤穂方言を出さず、江戸言葉を話す必要があっただろうが、これにはきっと、随分苦労したことと思われる

さいわい当時の江戸は巨大都市であり、群集の中に紛れ込むことは、さほど困難なことではなかったのかも知れない

彼らはなぜそこまでして吉良討伐に情熱を傾けたのだろうか?

目的を成就したあとは、武士として潔い死を予定しての行動である
死が、今ほど遠い所にはなかった武家社会の出来事であるとは言え、彼らは生まれ故郷の赤穂に妻子や両親を残してきているし、恋人だっていただろうから、後顧の憂いがなかったわけではない

しかし、何よりも目的達成を優先した

吉良上野の浅野内匠頭いじめの噂は

もちろん浅野家中にも広がっていたであろう

しかし、その実態、そして、吉良義央の顔や人柄を知る者は、47人のうち何人いたであろう
それが 「吉良憎し」 で団結し、プロジェクトチームを作ったのだ

なぜか?

若い浅野長矩が

播州において名君だったかは定かでないし、下級武士であった 47人が長矩に大きな恩義を感じていたわけでもなかろう

チーム結成には

浅野家家老職にあった大石のカリスマ性が大いに影響したことだろうが、僕は少し別の見方をする

江戸文化が花開いた元禄時代

松の廊下事件が起きるまでは、赤穂の人々も、きっと平和に暮らしていた
しかし、播州浅野家は改易となり、藩士は解雇され、先祖代々武士として生きてきた藩士の多くは、浪人となった

どこかの藩に再就職できる人はわずか

殆どの旧藩士は路頭に迷う生活が始まる
しかるに、身分制度の頂点に立つ武士としてのプライドから、彼らは他の職業につくなど、考えられない

つまり、突然、生きる目的、生甲斐を失ったのだ

そこにふってわいた上野介殺害計画

大石内蔵助は家老職にあったから、主君のあだを討つという大義があったであろう
しかし、自分一人では到底無理、仲間が必要だ

大石の覚悟を知った浪士の幾人かがこれに呼応した

「吉良憎し」 でもなく、 「主君に忠義を尽くす」 でもない

浪人となり、生きる目的、生甲斐を失っていた時に、吉良討伐という大義名分を掲げる、新たな目的ができたことは、まさにグッドタイミングだったのだ

目的達成のためには、種々の苦労が伴う

しかし、大石率いるプロジェクトチームは、緻密な諜報活動を通じて、計画実行のための準備を着々と進める

平和な当時、実戦経験のある武士などいない
彼らの多くは人を斬ったことすらなかったであろう
それなのに、薄暗い屋敷内での白兵戦を想定して、刀や槍を短く改造するなど、周到な準備を怠らなかった

困難なことばかりを

幕府に悟られることなく、一つずつクリアしていく過程こそ、彼らの最大の生甲斐、生きる目的だったのだと思う

準備期間の 2年弱は、武人としての彼らの人生がぎゅっと凝縮された、とても価値のある時間だったのではないか

そして決行の夜

46名は武人としての血がさぞ騒いだことであろう

吉良邸の厳重な警備をものともせず、かねてからの計画通りに、順調過ぎるほど順調に事は運び、遂に上野介を討ち取ることに成功する

目的が上野介の殺害というのは決して褒められることではないし

吉良邸に詰めていた護衛の多くを殺傷しているので、現代の感覚では、これは 「 1対 1のあだ討ち」 とは程遠く、集団テロ事件、集団による報復行動と言ってもいい

しかし、時は江戸時代である

AKR46は、凱旋して泉岳寺に向かう時

困難と思われたプロジェクトを遂に達成したよろこびと開放感を、存分に味わったことだろう

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