2015/04/13
などと使う、あれである
この言葉が、いつも引っかかっていた
「風上に置けない」 ならば
「困った人を風上に置けば、その人の困った面が風下に流れているから、風下いる人はたまったものではない」
という、当たり前の事実になる
そんなにも 「こまったちゃん」 なら、そのこまったちゃん度を強調するためには
風上にいる人が通常なら影響を受けないような風下でさえという意味をこめて
「風下にも置けない」
とするのが分かりやすいというものだ
「風上に置けない」
となっている
なーんだ、 「も」 を抜いた言い方がちゃんとあるのだ
でも、巷ではやはり、 「風上にも置けない」 が依然として主流である
程度がより強い、いや形容詞を強調する意味になる不思議
最近は、拒否表現として、若い人はこれを普通に使う (僕は使わないが)
例 : 「僕と付き合ってくれる?」 → 「だいじょうぶです」
考えて見ると、昔から似た表現があった
「これ食べない?」 → 「結構です」 、もしくは 「いいです」
この表現は使い続けられてきたから、今ではほぼ 「拒否」 とわかる
気が許せる、遠慮や気遣いをする必要がない親しい人
という意味だが、何か 「気が許せない人」 的ニュアンスに溢れている
「気の置けない人」 = 「気の許せない人」 と
調べて見ると、森鴎外は 「青年」 の中で
「いくら親しくても、気が置かれて、帰ったあとでほっと息をつく」
と用いているとか
とにかく、日本語は、表現がきめ細かい、と言うか、分かりにくい