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No.449 野口英世 ・ 森鴎外 の 光と影

2016/08/29

野口英世

千円札の肖像にも採用されるなど、「日本が 世界に誇る 研究者」 との イメージが大きい偉人です

研究者としての 野口英世は

主として 海外で活躍し、主として 熱帯医学の研究に 従事するので、日本に 特段の貢献は していません
そして、彼の 「業績」 の 大部分が 現在否定されていることを 知る人はいますが、その事実は 一般には さほど知られていないのかも知れません

野口は 苦労を重ね

確固たる 目的意識のもと 自分のキャリヤを 築き上げた人であり、その面では 確かに偉人といえます
そして 研究活動を 開始する 1901年から、没する 1928年の間に 198扁もの 英文論文を 発表していて、これは 年間、実に 7.3本の 論文を書いていたことになり、これも 偉業といえるでしょう

神経梅毒患者から スピロヘータを発見したのも 大きな偉業でした

また コブラの毒が 神経毒、 マムシの毒は 出血毒であることを突き止めたのも 偉業といってよいでしょう
ロックフェラー財団の意向を受けて向かった エクアドルで 「エクアドル黄熱病」 に対する ワクチン (野口ワクチン) を製造し、これによって 南米での 黄熱病が終息したため、エクアドルの 名誉大佐に任命されたなど、彼は 南米での評価は 今でも高いようです


しかし、彼が 「梅毒スピロヘータの 粋培養に成功した」 とする 論文は、後になって 完全に否定されました

また、彼が 「レプトスピラ ・ イクテロイデス」 が 黄熱病の原因菌であるとした論文も、後年、黄熱病の原因病原体が 実は ウイルスであることを マックス ・ タイラーらが 発見して あっさり否定されました
さらに 「トラコーマの 原因菌を発見した」 とした 論文も、後年、原因病原体である クラミジアが発見されると 否定されてしまいました
また彼は、 「狂犬病、小児麻痺の 原因菌を発見した」 との 成果を 発表しましたが、後年 これも 否定されました

このように、彼が発表した論文 198扁は

一部を除いて 現在は 殆どが 否定されているといいます


いっぽう 文豪として知られる 森鴎外 (森 林太郎)

陸軍軍人が本職で、軍医総監、陸軍省医務局長まで つとめた人です

日清 ・ 日露戦争では

陸軍将兵の死者は 戦闘によるよりも 病気によるものが多かった と いわれています
中でも 脚気による死者が 多かったことは 有名です

森林太郎は、当時 細菌学のメッカであった コッホ衛生試験所などで

ドイツ医学を修め、研鑽を積んで 帰国し、「脚気は 脚気菌による感染症である」 との発表を おこないました
これと時期を ほぼ同じくして、高木兼寛 (海軍軍医総監) は、壮大なる実験航海から 「精白米が 脚気の原因」 と 結論づけました

高木は 細菌学全盛のドイツ医学ではなく、留学により 英国医学を修め、今でいう EBMの手法を 学んでいたと思われます

2人の間には しばし論争が 続きましたが

高木の指示により 海軍では 食事を麦飯としたため、海軍では 戦争中に 脚気による死者が 一人も出なかったという事実と、数年後に 鈴木梅太郎博士が 米ヌカから オリザニン (ビタミン B1) を 抽出したことによって 軍配は 高木に上がり、林太郎は 論争に 敗北して 下野したといわれます
高木は 後に 東京慈恵会医科大学を 創設しました

ちなみに 「海軍カレー」 は

高木が 脚気防止のために 考案したとのことであり、今の 海上自衛隊にも引き継がれています

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