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No.042 アンガーコントロール

2011/05/09

(アンガーコントロールとは怒りの感情をコントロールすることをいう)

今回は年末でもないのに、赤穂浪士事件にまつわる話である

元禄時代は、戦のない、平和な時代で、江戸文化が花開いた
だから、侍の多くは実戦経験もなく、生涯、人を斬ったことがなかった武士も多かったことだろう

このような元禄の世に

大石の緻密な計算、計画のもと、47士が、2年足らずで吉良義央の殺害に成功したのは、むしろ奇跡とも言える出来事であった

後世に作られたドラマの数々も

結局の所47士の忠義心もさることながら、
大石の指揮のもと、
綿密な事前調査、戦略、吉良邸内での独自の戦法を編み出したことにより、
味方側には1人も死者を出さず、
主君の仇討ちを成功させたという、
スリル

エンターテインメント性
がベースになっている

しかし、少し現実に立ち戻って考えて見よう

松の廊下で、浅野長矩が吉良義央に斬りつけさえしなければ、
浅野家の家臣が路頭に迷うこともなかったし、
吉良上野介は殺害されなかったし、
吉良義央を警護するために邸内にいた、
罪もない多くの侍が命を落とすこともなかったし、
旧赤穂藩士46名が切腹することもなかった

100名弱の死傷者を出し、当時の社会を揺るがしたこの事件は

僕には、単なる現代の抗争事件と変わらないようにも感じられる

幕府の「不公平」な処置に対する抗議という見方もあるが、
結局のところ、
「主君の死の原因を作った吉良義央に報復した」
そういうことだろう

事件の発端は浅野長矩の短慮であった

斬りつけた時、
「遺恨あり」
とだけしか、
彼は言っていないので、
吉良義央との間に、
どんな確執があったのかについては、知る人はいない

したがって、後世、
様々な憶測や、物語が生まれることになる
しかし、長矩は、
よほど義央が憎かったことだけは確かだろう

松の廊下事件は、計画的犯行ではなく、
個人的な怨恨から来る、衝動的犯行であったらしい

浅野は脇差を吉良の顔面に斬りつけた

本来、脇差とは刺殺用の武器であるのに

この脇差の使い方を見ると、
長矩には義央に対して本当に殺意があったのかは、疑問であるし、
これこそが衝動的凶行である証拠なのかも知れない

彼が、もし、松の廊下で義央を殺害することができたのであれば

その瞬間、彼は心が晴れたであろう
しかし、問題は、その後である

殿中で凶行に及べば、
あとはどうなるか、35歳の
「大人」
の藩主なら予想はつくはずだ

それを敢えて決行したのは、
生来短気であったとも伝えられている彼が、
自己の怒りの感情をコントロールすることができなかったからだ

ここから先は想像だが

彼は領国では5万石の小国、播磨赤穂の藩主であり、
自己の感情をコントロールする訓練などする機会もなく、
いわば世間知らずに育った、
太平の世の典型的な地方の殿様だったのではないか

ただし、
怒りをコントロールすることは現代でも難しいことのひとつで、
「アンガーコントロールトレーニング」
に関する書籍は多数出版されている

侍はプライドを大切にするというが

きっと、義央が浅野長矩の侍としてのプライドを傷つける言動を繰り返していたのであろう

そのプライドが悲劇を生み、
また皮肉なことに、
その悲劇が後年、主君の仇討ち美談として、
演劇やドラマの形で語り継がれることとなった

義央の長矩いじめがあったのは、たぶん本当だと思う

吉良上野が浅野長矩をいじめたことに関する逸話は多いからである
江戸の中央政界にはダーティーなことが多かったのだろう
有名な、賄賂説や、金銭出し惜しみ説を含めて、種々の説がある

けれども、事が事だけに、
資料などあるはずもなく、
いずれも、詳細は闇の中である

ただ、当時、吉良に限らず、中央政界では、
現代と同じような、大人のいじめも結構あったのではないだろうかと思われる

自分よりも随分年下の長矩を苛めたであろう

60過ぎた吉良上野介も、
大人げないが、苛めたくなるような要素が、
ダーティーな政界になじめない長矩にはあったのかも知れない

吉良上野介が、
ドSだったのかは知るよしもないが、
吉良義央は、国許では名君だったと聞く

長矩は、吉良のいやがらせや罵倒の言葉を

まっこうから受け止めてしまい、
聞き流すということができず、
恨み、怒りの感情が芽生えたとしても不自然ではない

長矩は、ごく普通の生真面目な青年だったのだろう

今で言えば
「キレた」
のだろうか

赤穂事件は さておき

自分が、誰かから恨まれているかも知れないことを知っている人は、
意外に少ない

自分が、相手の心を、
どこで、いかに傷つけたかに気づいていないからだ

だから、恨まれている人は無防備だ
たとえ 恨まれていることを知っていたとしても、
四六時中自分を守ることなど不可能である
どこかで必ず隙ができるから、
それを逃さなければ、
復讐する側は簡単である

復讐の方法だって、いくらでもあるであろう

「江戸の敵を長崎で討つ」
という諺があるように、
忘れた頃に、全く異なる状況で相手を追い込むことは、
復讐に執念を燃やす人にとっては、さほど困難なことではない

だから義央は結局殺された
討ち入りを予想し、上杉家の力も借り、万全の警護体制を取っていたにもかかわらずである

長矩は、松の廊下で吉良を斬りつけなくても

時がたてば、いずれ吉良とは顔を合わせることもなくなるし、
忘れた頃に何らかの反撃をすることだってできたかも知れない

きっと、彼は喧嘩の極意を知らなかったのだ
当時の殿様は喧嘩などすることもなかっただろうし、
喧嘩の相手すらいなかったと思われる

赤穂事件が教えてくれるのは

人は、怒りに対する自己抑制の訓練が必要であることの一点に尽きる

忠臣蔵ファンの人々、
赤穂の人々、
吉良の人々には、
申し訳ないようなことを書いてしまったが、
時代背景も文化も異なる300年以上前の人々に関する論評なので、どうか許してもらいたい

さて、動物は生きるために

食糧を求めて争ったり、
繁殖のため、雌を求めて争うのはごく普通のこと

オスが戦うのは、個体維持、種族維持のための必要不可欠な神聖な本能なのだが、
文化を手にした ヒト が喧嘩をすれば、
動物と同等のレベル、
いや神聖とは別世界の行動であり、その点で動物以下と言えないか

しかし、人には感情があるし

精神面で
「大人」
にはなり切れていない成人も多いので、
喧嘩になってしまうことだって、いくらもある

では、喧嘩の極意とは何か

其の一喧嘩になるような状況に陥ることを避ける
もちろん、稀ではあるが、例外もある
戦略として、意図的に相手を挑発して、自分の立場を有利にみちびく場合である

ところで、喧嘩の誘因には、ざっと次のような状況が考えられる

  1. 明確な理由がなくても、相手のことが、生理的に嫌いな時
  2. 意見や、やり方が相手と徹底的に合わない時
  3. 相手に自分や、自分の大切なものを侮辱された時、もしくは人格を傷つけられた時
  4. 金銭や男女関係を巡るトラブル
  5. 相手が不誠実だったりしてお互いの信頼関係が壊れた時

これらの状況があったとしても、
当然のことながら、自分からは決して喧嘩を売らないこと
また、売られた喧嘩を買わないこと
これが 極意 其の二だ

「なーんだ、そんなことか」 と思うかも知れない

しかし、売られた喧嘩を買わないことは、口で言うほど簡単ではない
自分にだってプライドがあるし、つい相手の挑発に乗りたくなってしまうから

ではどうするか

喧嘩を売られた場合の正しい対処法

  1. 相手は興奮して喋り続けるので、途中で口を挟まず、相手の言い分を最後まで黙って聞き、できればメモを取る
  2. 反論をしないのがベストだが、どうしても必要なら論理的に、口調はゆっくり、言葉少なめに(自分が冷静になるための技法)
  3. 相手の人格を傷つけるような発言は避ける
  4. 「相手は未熟者だから、こんな物言いしかできないんだ」 と思う
     (「自分の方が文化度が高く、器量が大きい」と自分に言い聞かせる)

自分の経験では 4. が一番効果的だ

4. のように思うことで、
いくら相手が興奮していたとしても、
自分は腹も立たないから、
相手に言い返すこともなく、やがて喧嘩は終息する

アンガーコントロール(アンガーマネージメント)とは、怒らないことではなく

怒りの感情を抑えて、上手に怒る手法のことである

アンガーコントロールについて書くつもりが、
いつの間にか

アンガーコントロールできない人への対処法になってしまった

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