2011/09/12
さすがにゴールデンでは稀だが、地域密着型などでは頻繁にお目にかかる
取材が簡単で、その割に視聴率が稼げるからなのか?
「外はさくさく、中はジューシー」
本来は甘くない食材を 「甘―い」
「お肉が口の中でとろける」
「フルーティー」 な香り
「クリーミー」
「しこしこと、歯ごたえのある食感」
「中から肉汁がジュワー」
料理を、さも旨そうに演出する
しかし、これらのコメントや絵は、僕をして、それを食べてみたいという感情に駆り立てない
きっと、それぼどには旨くないことがわかっているから
もちろん、高級料理など滅多に食する機会のない日常だが、懐石料理、フレンチ、イタリアン、中華、鮨など、いかに高価な料理でも、特に旨いと思うことは少ない
一般に、高価な料理は、期待ほどの代物ではないことが多いものだ
北京ダック (ただの鳥皮) 、フカひれ (食感だけ) 、フォアグラ (脂肪の塊) 、
キャビア (生臭いだけ) 、トリュフ (黒く、見た目が悪い)
これらを本当に美味しいと思う人が、それほどいるとはいるとは思えない
高級店は、店内が静かで、調度品の質や、窓からの眺めは良いし、従業員のサービスも丁寧である
つまり、雰囲気が高級なのだ
雰囲気が良ければ、極論ではあるが、供される料理など、どうでもよい
高額の料金は、その雰囲気に対する対価であり、料理に対するものではないと思っている
酒が入ってしまったり、会食相手との会話に夢中になると、もう料理を味わうなんてことは到底無理というものだ
味どころか、どんな料理を食べたのかさえ、あまり思い出せない
酒は食前に飲む状況が多いものだが、これが旨い酒だったりすると、料理を食べるのが、むしろもったいない気持ちになる
料理は、僕にとって、あくまで、酒の味を引き立たせるための、口直しといったところだ
日本語の 「さかな(魚、肴)」 の紀元は 「酒菜」 だそうで、ここからは、あくまで酒が主役で、肴はあくまで脇役だったことが窺える
自分が丹精込めて作った料理を、僕がそんな風にしか見ていないことを知ったら、さぞ、がっかりすることだろう
せめてもの贅沢と思って、彩り豊かな、一番高価な物を購入しても、期待するほどの味の感動は全く得られず、いつもがっかりする
それは、
だったりする
自分の手で作り、
人の目を気にしないで、リラックスして食べられるものが最も良い
手間をかけたからと言って、それだけ旨いものが出来るわけでもない
料理にも 「シンプル イズ ザ ベスト」 は当てはまる
きっと、見た目に美しい料理は完成する
要するに、料理は目で楽しむものと、味で楽しむものとがあり、両者は必ずしも一致するものではないのだろう