2012/03/13
政治評論家、経済評論家、軍事評論家、医事評論家などは普通に存在する
ところが、中にはとんでもない 「評論家」 がいる
評論家を自認するには誰の認可も必要ないから勝手である
「私はこういう者です」 と言って差し出された一枚の名刺
肩書は
「畳評論家 ・ コンサルタント」
は?
畳職人だから、確かに畳に関する論評はできるだろうし、相談にも応じることができるだろう
肩書に嘘はないかも
でも、何か変だ
一瞬笑いをこらえたが、自分が畳屋だと知らせるのには、そして、畳屋をやめた後でも、結構役に立つ肩書だと感心した
受け取った人は、その肩書によって、相手の会社の中での立場を知り、肩書にふさわしい対応をするわけだ
肩書のついた名刺を持たない、いや必要としない人達も大勢いる
個人事業主や退職者、専業主婦などだ
おっと、それと、皆が知っているような著名人も名刺を必要としない
名刺はあっても、中央に自分の姓名だけ、大きな文字で、どーんと書いてあったりする
「私はこういう者です」 と名刺を差し出しても、姓名と住所だけでは、一体何者? と思われても仕方がない
患者として、また患者の家族として病院に行った時など、 「へー、この人はこんな風貌でも、昔は医者だったんだ?」
と、相手の医者に、知らしめることができるではないか
そうすれば、同類意識から、対する医者の応対も、少しはましになるかも知れない
何歳になっても、死ぬまで使える便利な肩書だ
それは、昔と違って、今は学位審査が厳しいことや、 「医学博士」 の学位があっても、医療を実践する上で、ほとんど役に立たないからだ
「医学博士」 を持っているということは、医者としてのキャリアが少ないことを表明しているようなものだ、と彼は言う
研究生活をしている期間の分だけ医業の訓練量が少ないから、というのがその理由だ
ほぼ全員が、医者になってから何年かは、何のためらいもなく、大学研究室で研究生活を送ったものだ
結果、大多数の医者は 「医学博士」 という学位を持った
学位の審査基準もゆるかった
学位をもらってからの 「お礼奉公」 などという言葉も、今は死語に近い
「これが一体、医療実践に、いつ役に立つのだろう」 と自問しながら実験をし、せっせと論文を書いた
その甲斐あって、有難くいただいた 「博士号」
予想通り、医療の実践には何の役にも立たなかったばかりでなく、友人がいみじくも言った通り、研究期間分、医療の実戦キャリアも少なくなってしまった
今後は、昔と違って 「医者は誰でも医学博士」 の時代ではなくなって行くだろう
そうすると、 「医学博士」 は、さも立派な肩書に見えるかもしない
早く教えてくれればよかったのに ・ ・ ・