2012/05/25
約800 ほどの 「日本○○学会」 と称する医学・医療関係の学会がある
とても多いというのが正直な印象だ
学会の種類が多いことは、別に悪いことではない
大いに研究し、発表し、それが医学の進歩に結びつけば何よりだから
「専門医」 、 「認定医」 、 「指導医」 などの学会内資格を作っている
また、第三者機構である 「社団法人 ・ 専門医制 ・ 評価認定機構」 が、専門医、認定医の質の担保をするため、認定要件、更新要件の基準を設けている
他医との差別化をはかるため、また、自身の専門性をアピールするため、専門医資格を欲する場合が多い
専門医資格を得るためには、それなりの修練が必要だし、試験もあるから、専門医になることができた人は、その専門領域に関して資質・能力があることを意味する
専門医資格を持った医師が優秀で、そうでない医師が優秀でないとする根拠など、どこにもないし、日本には、すでに確立した、日本の医療制度がある
高度の専門性を有していても、種々の理由で、専門医資格を取得していない人もいる
たとえ学会にも属していなくても、医療行為はできるし、専門科を標榜することだってできる
「更新制度」 というものがあり、数年に一度、資格を更新する必要があり、そのために、学会主催の学術集会に出席するなどして、一定の 「単位」 を蓄積して行かねばならない
これが、地方の病院勤務医や開業医にとっては結構な負担である
東京や、東京周辺の大都市、また、京都、大阪、福岡などの都市で開催されることが多い
これらの都市は大きなコンベンションホールを持っているからである
地方に暮らす医者もいる
彼らにとって、忙しい診療の間を縫うようにして、 1から 3日を割いて、遠くの学会に出席することは、ストレス以外の何者でもない
最近は、土日を含めて開催される学会が多いが、それでも、遠くへのトンボ帰りというのは正直辛い
毎年、学術集会に出席して、何時間か偉い先生方の講演を拝聴すれば、レベルの維持やアップが出来るのであろうか?ということが挙げられる
「教育講演」 と銘打った偉い先生の講演は、確かに、ためになるものが多いし、知識も増える
言葉は悪いが、内容が無さ過ぎて、単なる時間の浪費に過ぎない 「教育講演」 だっていくらもある
日々、文献を読み、専門医としての臨床活動をしていることのほうが、専門医としてのレベルアップに繋がることは、敢えて言うまでも無い
講演で得た知識が、すぐに明日からの臨床に役立つかと問われると、少々疑問も残る
認定医資格を維持するためには、毎年の年会費、学術集会参加費、学会旅費、 5年に一度の 「認定更新費用」 などが必要だ
これらを合計すると、 1つの学会で、 5年間で 80から 100万円の出費となる
医者は、いくつもの学会の専門医資格を有している人が多いから、合計すると、個人負担は、結構な金額となるわけだ
専門 ・ 認定医制度を創設すると、会員数の増加、学術集会の参加費、試験料、認定料、更新料などが見込まれ、極めて大きな収入が期待される
だから、学会がどれだけ稼ごうと構わない
しかるに、顧客である会員、特に、学会開催地から遠方の会員には、何らかの便宜をはかってくれると嬉しい
「社団法人 ・ 専門医制 ・ 評価認定機構」 の 「専門医更新の要件が不足」 という勧告を受けて、更新までに取得する単位を大幅に増加させた
さすがに、これだけの単位を取るための講演の聴講は、北信に住む身にとって、時間的に無理があるため、僕は次の更新を行わないことに決めた
しかし、その領域のプロとして、日々の臨床を遂行するにおいて、何ら変わりはないし、勉強も怠らないし、不利もない
学会の定める資格を有していなくても、実力があれば生きてゆける
同好の士の集まりであり、あくまで私的なものである
それら私的な組織が作った 「専門医」 は、国家資格でもなく、あくまで学会の中だけで通用する、私的な資格に過ぎない
これをそのまま真似すれば、現在でも批判の多い、今の米国医療の良くない面だけを取り入れることになりはしないか?
一種のブームとなってしまった感のある現状について、僕の、あくまで個人的な感想を述べてみた
決して、 「学会」 や 「社団法人 ・ 専門医制 ・ 評価認定機構」 の名誉を傷つける意図など毛頭なく、自分の今思っていることを、正直に書いただけであり、 「言論の自由」 の範囲内と心得ている
また、もちろん、これが、飯綱病院の見解ではないことを断っておく
さらに、以上の内容が全て、厳密に正確な事実である自信はなく、推測の部分もあることを付け加える