2015/04/03
ルフトハンザ航空系列の ジャーマンウイングス社の副操縦士によって他の乗員乗客 149名の命が奪われた
「操縦士は悪いことをしない」
という、性善説によって構築された航空会社のリスク管理の欠陥が露呈された
欧州航空各社は 「操縦室は常時 2人」 というルールを定めたという
ちなみに機関士がいた時代は コクピット内の人員は 3名であったが、旅客機の コンピューター化にともない、 コクピット内は機関士不在で、たった 2名の パイロットと コパイロットがいるだけの空間になった
急病で操縦不能になることだってあるだろう
そんな時、もう一人が室内にいるだけで危険は回避できるはずだ
日本を含めて (日本エアシステムに限ってはもともと 2名ルールであったとのこと) 、ほとんどの航空会社でルール作りがされていなかったことを知り唖然とした
今回は副操縦士が故意に高度を下げ続けたわけだが、回収されたボイスレコーダーには、機体の異常降下を知らせるアラームが成り続けていたことが記録されていたという
アラームが鳴っても操縦士が機首を立直されなかった場合などの緊急事態が発生した場合、人工知能が 「この操縦士は安全航行する意思がないか能力がない」 と判断し、 「操縦士に任せては危険」 と判断して自動的に機首を上げる、そして、以後の航行は操縦者の意志を尊重せず全て自動で行われるといった自動操縦機能があると良かったと思う
まだ旅客機は完全無人航行ができるまでには進化していないが、 パイロットといえども所詮人間だから、航空機の操縦や健康状態が パーフェクトな人ばかりとは限らないし、 パニックになったとき、普段の実力が発揮できるとも限らない
これは 1994年に名古屋空港で起きた中華航空 140便墜落事故を見れば明らかである
この事故では、結局、操縦士達が何もしないければ安全に着陸できたはずであった
理論的には完全無人操縦が出来るのにもかかわらず、伝統的に パイロットの職人的わざや勘を重視するあまり、完全自動操縦技術の開発を手がけようとしないのではないだろうか?
その証拠には、軍事目的ではすでに無人爆撃機が運用されている
せめて操縦室内の様子を固定カメラで捉え、管制室に画像情報を送るシステムくらいはほしいところだ
また、管制室からの信号で、操縦室の ドアロックを解除できるようなシステムも考えられよう
パイロットは管制塔との交信要員として搭乗するだけで、航空機は人工知能による完全自動航行を基本とするという体制である
こうすれば、人間が宿命として持つ、心身の不安定さという リスクを回避できるし、操縦室を テロ集団に乗っ取られるといった リスクも回避できる
航空技術者が真剣に開発することは決して不可能ではないだろう
しかし、恐らく、航空業界には、 「操縦は熟練した パイロットがおこなうもの、自動操縦機能はあくまで パイロットを補佐する役割にしか過ぎない」 といった伝統を重んじる風潮が根に存在しているのではないか
そして、パイロットを偶像化しすぎているのではないか
いかに ヒューマンエラーが起きようとそれを カバーする機構を日夜開発してきたから、運転手不要の完全自動運転機能を獲得することができたではないか
完全な性善説のもと航空機を製造していて、自動モードは 操縦士の意思を尊重する タイプであるという
つまり、自動モードであっても、操縦士が操縦桿を操作すると自動モードが解除される機構を採用している
「厳しい訓練に耐え、選ばれたパイロットともあろう人が、決してミスや、故意に機体を破損することなどありえない」 という想定に基づいた設計思想ではないだろうか
コンピューターの判断が優先される傾向が大きく、自動モードを オフにしないと、操縦桿での操縦と自動操縦が拮抗する システムだという
また フライトコンピューターも同じものが 3台搭載されていて、 コンピューターの不具合による誤動作を徹底的に排除する システムであるという
皮肉なことに、人である パイロットは、 ヒトであるがゆえに完全ではない
エアバスの この システムが裏目に出たのが、先出の中華航空の エアバス A-300-600R墜落事故であることは当時話題となり、以後 エアバスの自動操縦システムが一部改良されたという
操縦室への ドア管理が厳重になったために起きた今回の事件だが、操縦室の ドア管理はそれでよかったのかもしれないが、操縦室内での危機回避対策が不十分であったといわざるを得ない
なーんちゃって
にわか航空評論家になってみました