2016/11/28
歌とは 本来、詩をメロディーに乗せて聴衆に届けるものであり、メロディーにのった詩を歌詞という
そしてメロディーは あくまで詩を引き立たせるためにあるものと 僕は理解している
メロディーや リズムが先行し、歌詞といえば 耳当たりの良い単語を適当に並べているだけといったものが多く、聞き終わったあと、どんな内容の歌詞であったのか、殆ど印象に残らない
近頃は ダンサブルな音楽が多いから、このことは ある程度仕方ないとはいえ、この手の歌詞は 文学とは程遠いところにあると感じる
その一人が さだまさし であると思う
どの歌詞も ドラマのように その情景がリアルに浮かんでくる
「檸檬」 、 「修二会」 、 「つゆのあとさき」 、 「向かい風」 、 「指定券」 、 「飛梅」 などは 別れを暗示するドラマ
「驛舎」、 「親父の一番長い日」 、 「転宅」 は 聞き終わるとほっこりするドラマ
「関白失脚」 、 「雨やどり」 などは ユーモラスで、何度きいても にんまりしてしまう
「償い」 、 「フレディー もしくは 三教街」 は テーマが重いのだが、詩と旋律の美しさが その重さを払拭してくれる
「風に立つライオン」 は、アフリカで医療に当たった実在の日本人医師の生き様をテーマにしていて、多くの人に感銘を与え、映画にもなった
「人生の贈り物」 、 「療養所」 は 人生の意味といった真剣なテーマを わかりやすい展開で示している
きらりと光るワードが 必ず いくつか散りばめられている
トークの面白い ただのおじさんではないのだ
どのような経緯で スウェーデンアカデミーの目にとまったのかは知らないが、ボブ・ディランの詩が 「文学」 というのなら、さだの詩は まさに正真正銘の文学だと 僕は感じる