2010/12/15
これが僕の医学を始める前の経歴だ
もともと実験の好きだった僕は、トリコスポロン属という酵母を用いての工場排液の無毒化を研究した
しかし、農学部在籍中に見たテレビドラマの影響を強く受け、医学部受験を決意した
医学部を卒業して1年間、出身大学の内科医局に入局し臨床研修をした
しかし、当時は研修とは名ばかり、研修医は医局の雑用係といった感じだった
症例を持たされても、適切な指導はされず「こういう場合はこうするのだ」と、理由も示してもらえず、ただただ上級医のまねをした
一人では何もできなかった
内科に入局したこと、少し悔やんだ
S病院は当時、市内の繁華街から至近距離にあり、完全オープンシステムを取り、外来を持たない、病棟のみに特化した救急病院だ
僕は大学での1年間、救急蘇生や、気管挿管をする機会(見学も含めて)が全くなかったので、S病院に赴任する前、その不安を大学医局の先輩にぶつけたことがある
すると先輩は「そんなもん、そのうちできるようになるさ」との答え、がっかり感と同時に不安が増した
ひょっとしたら、その先輩は気管内挿管ができなかったのではないかと今思う
S病院の指導医は、その多くが米国での臨床経験や米国の専門医資格を持っていて、「下級医に教える」情熱と、何よりも、人間的な暖かさを兼ね備えていることを知った
指導医は「自分が先輩から教えられた恩は、自分が上級医になった時、後輩に教えることで返す」と考えていたようだ
毎日ランチョンカンファレンスが開かれ、前日の入院患者数十名がホワイトボードに列記されていて、担当医はプレゼンテーションをおこない、診断根拠を示さなければならず、アカデミックな雰囲気に満ち溢れていた
自分の番が近づけば、おちおち食事などしていられない
年末年始の連休明けには百名以上の患者名が、ぎっしりボードに書かれていた
S病院において、多くの指導医から学んだ、疾患を科学的に捉える手法、理論的に診断に至る思考過程、治療の技術、医療の哲学は一生の宝物だ