2010/12/28
昼夜を問わずひっきりなしにやって来る救急車への対応と、
自分の担当する30から40名の入院患者の指示出しや治療、検査、
さらに、夕方からおこなわれるCT読影カンファランス、
循環器カンファランス、
定期的におこなわれるグランドラウンドやCPCなどで、
勤務は体力勝負、今思うと過酷であった
米国で鍛えた上級医の指導は、やはりここでも米国式であった
寝る暇のない当直を2日続けると、
実質連続60時間勤務ということになるばかりでなく、
自分の入院させた患者は原則自分が診なければならないので、
2日間に入院した急性期患者十数名の治療も手抜かりなくおこなっていかなければならない
遂には、昼、ナースステーションで、立ったまま瞬間睡眠を取る有様であった
外来診療に時間を取られることがなく、
朝から夜まで入院患者の診療に専念することができ、
いわゆるhospitalistとして、勉強する機会はとても多かった
達成感からか不思議と元気で、
決まってS病院御用達のスナック「オリジナル・ライフ」に出かけ、
なかば貸し切り状態になってしまった店で、
皆とカラオケで盛り上がり、
「星降る街角」や「ダンシングオールナイト」で、
まさに曲のタイトルどおり、朝まで踊り続けるという無茶な生活を送った
「仕事をした後の酒は旨い」
日頃から寡黙な、同僚のN先生は、カウンターで、ウィスキーのグラスを傾けながら、静かに言った
以前、大学の先輩がいみじくも言っていたとおり、
気管挿管、蘇生術は必要に迫られて、
ほどなく習得できたし、
気がつくと、
胃カメラによる緊急止血、
小児の腸重積の整復など、
何でも一応のことはこなせるようになっていた
なお、小児科は一定期間ローテートして、
I小児科部長の指導のもと、
数多くの貴重な小児救急疾患の診断と治療を経験した
今でも忘れないのは、
深夜に昏睡で搬送された3ヶ月齢の女児の糖尿病ケトアシドーシスを救命したこと、
1ケ月齢男児の細気管支炎を約1ヶ月間の人工呼吸により救命したことなどである
繁華街に位置する病院ゆえ、
外人ダンサーがステージ衣装のまま運びこまれたり、
喧嘩で怪我をした患者が担ぎこまれたり・・・・とにかく色々なことが、日々起こった
「自分は何でも診断できて、何でも治せる」
といった錯覚におちいり、
謙虚さが薄れていった時期ではあったが、刺激的で、楽しい日々であった
S病院での研修は、たった2年間ではあったが、感覚的には10年の経験を積んだように感じられた