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No.396 70年談話

2015/08/19

まず目立ったのは、主語である

「私」 が本文で使われなかったことである
「私」 は、記者会見の冒頭発言で 3回用いられたが、本文では一度も使われなかった
かわりに 「私たち」 と 「我が国」 は、主語として 14回登場した

つまり、談話は安倍氏自身の意見というよりは

日本国としての意思表明であることを示したものと受け止められる

まず、これが村山談話と大きく異なる点の一つである

戦後 50年村山談話では主語としての 「私」 が本文中に 3度登場する

  1. 「私は心から敬意の念を表明いたします」
  2. 「私は ・ ・ ・ ・ 痛切な反省の意思の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」
  3. 「 ・ ・ ・ と、私は信じております」

今回の 70年談話は少し異例であったと思う

まず、百年以上前の世界情勢にはじまり、今回の終戦に至るまでの歴史的事実のみを述べ、世界情勢の変化の中における日本の状況と、舵取りを誤ってしまった経過を説明した

誰もが知っているこれらの史実を、改めて述べたのには意味がある

「百年以上前の世界には西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました ・ ・ ・ その危機感が日本にとって、近代化の原動力となったことは間違いありません」
この陳述は、植民地政策はどの列強も行っていた事実であり、最後に加わった日本が植民地化政策を選択したことの合理的説明として充分であったと僕は思う

しかし、次に続く

「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」
に関しては、賛否の分かれるところであろうが、僕はその意味がよく理解できない

安倍氏はさらに続ける

「 (欧米諸国が) 経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰りを、力の行使によって解決しようと試みました」
これは 史実をそのまま述べたのに過ぎず、だれも、どの国家も反論はできない論理体系である

「広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって ・ ・ ・ ・ 市井の人々が無残にも犠牲となりました」
は、 200以上の都市を無差別爆撃して 100万人ともいわれる民間人を殺害した、国際法違反の米英に対する痛烈な批判となっている

さらに、次につづく以下の文言は 意味深長である

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
これは、 70年談話に中国が要求した 「侵略」 の 2文字を織り込みながら、 「日本が侵略した」 ことも含め、今もどこかで行われている行為を暗に示しているわけで、巧妙な陳述内容と僕は考える

「我が国は ・ ・ ・ ・ ・ 繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」
という表現は微妙で、主語が安倍氏ではないところがミソであるが、ちゃんと 「反省、お詫び」 という文言は使われている

さて、僕が最も重要と思うのは 以下の表現である

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

実はこれが安倍氏が最も言いたかったことではないのか

「今後、何年も謝罪を続けるのはもうやめにする」
という安倍氏の強い意志の表現であると思うからだ

「欧米に対する感謝」 を表明したこともあり、欧米からの評価はまずまずであったらしい

それにしても

当然反撃して来るだろうと考えられていた中 ・ 韓が 特段のコメントを控えたのは意外であった
彼らも 「いつまでも戦争責任問題に拘泥せず、ここらが落としどころだろう」 と考えたのかもしれないし、談話内容はあらかじめ中 ・ 韓の政府関係者に伝えられており、大方の同意を得ていたものとも考えられる

とにかく、この 70年談話は

世界に起きた過去の歴史的事実を機軸にしながら、我が国の行ってきたことの確認と、これからの平和日本の歩むべき道を述べた内容であり、誰も反論できない内容に仕上がっていたことは確かだろう

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