ホーム > Dr.ブログ > No.431 忘れられない患者さん

  • 救急の場合
  • 診療時間
  • 面会時間
  • 人間ドック
  • フロアマップ
  • 川口正展のなるほどザ・メディスン
  • Dr.ブログ

No.431 忘れられない患者さん

2016/03/28

三十数年間医者をやっていると

何万人もの患者さんを診て来たわけだが、その中で 特に印象に残る患者さんが 何人かいる
今回は、いちばん最近の患者さん、 Mさんのお話

Mさんは いつも息子さんに伴われて 月に一度の定期受診をされていた

ある受診日のこと
通常の診察を終えると、 Mさんは、表紙に 「川口先生へ」 と書かれた紙の包みを渡してくれた
Mさんは 俳句を趣味とする人で、その包みの中身は、折り紙サイズの 色紙十数枚に、恐らく マジックインクで書かれたと思われる 俳句であった

Mさんは 「純青」 という 俳号を持つ

そのうちの幾つかを紹介する

  • 万歩計  着けて深雪の  旦那寺    純青
  • 終戦忌  眠れぬ夜の  卒寿かな    純青
  • 老桜  誉れの時計  共に生く    純青
  • 左手で  書けば雪崩の  雪煙    純青
  • 八月や  二日九日  十五日    純青
  • 稲の花  試歩に力の  湧きにけり    純青
  • 俳号の  法名給ふ  終戦忌    純青
  • 点滴を  終えて安堵の  さくら餅    純青
  • 退院や  白寿を目指す  ひな祭り    純青
  • 爺ひとり  赤いりんごの  丸齧り    純青

色紙の色は 黄緑、 紫、 ピンク、 空色と カラフルで、背景には 花びらが印刷してある
右手が不自由のため、左手で書いたであろう文字は 細かく震えているが、力強い筆致で、書きにくい漢字もよく読める

日頃は 診察室で数分間の会話しかできないから

僕は Mさんについて 知らない面も多かった
しかし、 Mさんの 美的センス、 物事に対する感性は すばらしく、 Mさんの心は 決して老いてはいないのであった
そして、 Mさんの過ごした 90年余りの人生の一部を 垣間見た気がした

付き添ってこられる息子さんは

「父は 先生に会うのが楽しみで、いつも先生の診察日を 心待ちにしているんです」
と仰った


色紙をいただいてから 9日目の朝

心肺停止状態の高齢者が 救急搬送されてきた
すぐに救急室に駆けつけて 患者の顔を見て、僕は 息を飲んだ
救急ベッドに横たわっているのは Mさんだったのだ
家族の話によると、昨日までは 普段と何も変わったところはなかったとのこと

すぐに 心肺蘇生術を実施したが

心肺停止後 発見までに、すでに 1~ 2時間が経過していたようで、検査結果も 病態の解明には役に立たず、薬剤投与、 30分間の人工呼吸と 心臓マッサージをしても、蘇生することはなかった

Mさんの俳句にあった 「白寿を目指す」 との希望を

僕は かなえて上げることができず、 Mさんは 92歳 4ヶ月の人生を 終えた


俳句集は、頂いてからずっと診察机の脇に置いてある

亡くなる 9日前に頂いた あの俳句集は、 Mさんの遺言だったのだろうか

机脇を ちらと見るたびに、 Mさんの 人懐っこい顔が浮かんでくる

 |