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No.291 団塊

2014/02/12

「団塊の世代」 とは

堺屋太一氏の造語だが、今や日本語として定着し、知らない人はいない

定義としては

昭和 22から 24年生まれの、戦後のベビーブーマー世代
僕は、この定義からははずれるが、団塊世代のしっぽの方であることは間違いない

僕の小学校では

1クラスは 65名程度で、一学年は 12クラス
教室が足らず、理科室、図書館、音楽室まで、教室として使った

中学校も、 1学年 10から 12クラスのため

校庭にプレハブ校舎が 3棟新設され、 3年生の時には、遂にそのプレハブ校舎で授業を受けた
プレバプは実に簡素な作りであるから、夏は暑いし、冬は寒い
それでも充分楽しかった

生徒の数が多いということは

生存競争が激しいということであり、僕らは、良い意味でも悪い意味でも、逞しく育った
生徒数が多すぎて教師の目が行き届かないことをいいことに、自由を謳歌した

教師の言うことでも

筋が通らないと、これに逆らい、言うことを聞かなかった
場末の繁華街の一画にある、公立の、市内でも一二を争う柄の良くない中学であったせいであろう
ラッパズボンに長いスタンドカラー、裏地には龍の刺繍を施した丈の長い学ランを着た連中も濶歩していた
教師は夜になると、ミュージックホール (ストリップ劇場) に忍び、生徒が来ていないか、毎日交代でチェックしていたという

修学旅行の前には色々な注意事項が説明されたが

引率の教師が真面目な顔つきで、はじめに言ったのは 「旅先では他校の生徒とは絶対に喧嘩をするな」 だった
教師にとって生徒は危険きわまりない犬みたいな存在だったのだろう

ラッパズボンの連中は喧嘩大好きで、めっぽう強い

でも、話せば皆いい奴ばかりだった
「卒業式の日に先公へお礼参りをする」 と息巻いていたが、結局何も起きなかった

高等学校でも生徒ばかり

教師も生徒の名前を覚えるのに、さぞ大変な思いをしたことだろう

クラブ活動に熱中するあまり、授業中は睡眠時間

「こら、お前、寝るな!」 が教師の口癖だった

やたら腹が減り

11時ごろになると待ちきれず、授業中にも拘わらず机の下に隠した弁当箱から、教科書で隠しながら箸を口に運んでいる奴等ばかりだった

大学も定員を増やしていたので学生ばかり

全共闘や 革マル、 ノンポリ、 ゲバ棒、 民青 などのワードも、今では団塊の世代にしかわからないだろう

学生運動と称して大暴れ、学長を取り囲んで集団談交

校舎の窓ガラスは割り、バリケード封鎖、講義ボイコットなどやりたい放題
赤いヘルメットが至る所に転がっていた

ノンポリ学生は

これ幸いとばかり、アルバイトに精を出し、稼いだ金で派手なスポーツカーを乗り回した


今、そんな団塊の世代が 65歳の 「高齢者」 になった

僕らより少し先輩の彼らを見ていると、とても 「高齢者」 には見えない

昔大暴れした本性はいくつになっても衰えない

理屈をこね、必ず何かに文句をつけ、持論は通す正論クレーマー

一番厄介な連中だ
まだまだ内に秘めたエネルギーは使い尽くしていないようだ

「高齢者」 の定義を、そろそろ改めたらどうだろうか

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