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No.357 人生の目的

2014/12/19

「あなたにとって、人生の目的って何ですか?」

こんな質問を、テレビやラジオに出演する有名人は聞かれる場面がある
その場合、出演者は、さぞ困ることだろう
そして、聴衆に与える自分のイメージに合う、聞こえのよい、あたりさわりのない都合の良い返答をするのが常である

対して、一般の人に

「あなたの人生の目的は何ですか?」

と聞いても、すぐには適切な答が返ってこない

それは当たり前といえば当たり前

多くの人は、人生の目的をきっと持っては、いる
自覚していないだけなのだろう
また、たとえ自覚していても、本音なんか言えるわけがない

本音でヒトの人生の目的を語らせれば、おおよそ次のようなものではなかろうか?

  • 幸せが何度も訪れる人生を送る
  • 何度も愛する異性に出会い、何度も熱烈な恋愛をする
  • 最愛の異性と結婚して、多くの子に恵まれ、その子たちが皆、有名大学を卒業して将来、社会で活躍する人になる
  • 思い切り蓄財をして、豪華絢爛な人生を送る
  • 多くの友人や知人に囲まれて、日々、楽しく暮らす
  • 知識人として、あるいは起業して (立身出世をして) 、有名人になる
  • 誰にも何も言わせないような強い権力を手にする

かつて、ある大物政治家が

「政治家の魅力は何ですか?」

というような趣旨のインタビューに答えて

「権力でしょうね」

と答えた、と伝え聞いたことがある

そうか、政治家になりたい人は、権力に憧れていたのか
理解できないことではないし、それが一概に悪いとも言えない
人の個性は各々だから

さて、中には

「平凡な結婚をして、平凡な家族を作り、一生、平穏に暮らして、長寿を全うする」

などといった控えめな目的の人もいるだろう
  (実はこれこそが、かなり難しいことなのだが)

あるいは

「自分を犠牲にしてでも、信じるもののために働きたい」

とか

「波乱万丈の人生を送りたい」

とか

「誰にも邪魔されず、自由を満喫して、社会とは一線を画して生きて行きたい」

などという、少々異端な目的をもった人だっているだろう

第二次世界大戦中の一般日本人の人生の目標も、たいして違わなかったと思う

ただし、多くの第一線の将兵達の 「目的」 は、信じる大日本帝国のたには、自らを犠牲にしてでも、目の前に立ちはだかる敵を殲滅することであり、帝国を勝利に導くことであったろう
時代とともに人生の目的は異なる

バブル経済に沸いた時代と

現今の不況続きの時代とだって、人生の目的は異なることだろう

ずっと昔の日本では

一族 ・ 子孫繁栄が暗黙の人生の目的であったから、子作りのためとしての婚姻を盛大に祝う習慣があった
今でも世界のいくつかの村では数日間にもわたる婚姻披露の宴会を行っているときく
しかし、そんな感覚の薄れた現代日本では、入籍でだけで婚姻を成立させるカップルも増えている


残念なことに

人生の目的や、目標を持たない (持てない、持つ気がない) 若者が増えているような気が、僕にはしてならない

実際、

「目的なんて大そうなものがなくたって、知らないうちに、自動的に人生は決まっていく」

と錯覚している人が多いのではないか

「何となく学校を卒業すると、それなりの就職先が誰にでもあり、いったん就職すれば定年まで働けるし、いつかは伴侶も見つかり結婚して、複数の子に恵まれる」

少なくても、今までは、そのような社会構造だった
しかし、これからは、そうは行くまい

目的を持って、何かのスキルを身につけた者だけが、正統な社会人として生きていける世となりつつある

アメリカ合衆国が良い例で

かつては、実力と運があれば、いわゆるアメリカン・ドリームをかなえることができた
しかし、建国 220年を超えて、社会秩序が定まってくると、自由度が減った
英国のような階級社会が、合衆国にはすでに構築されつつあるという

我が国も同じで

サンフランシスコ講和条約締結年を、新しい日本の建国元年と考えれば、すでに 70年近くを経過したこととなり、それなりの社会のシステムは成熟した

すると

「人生は、特段の目的意識を持って選択をしなくても、自動的に何となく決まってゆくもの」
などという、従来の甘い考えは通用しなくなる


「人生の目的」 など、あらたまって人に話すものではない

しかし、個々の目的は是非持ちたいものだ

でも、たとえば

人生の目的を達成したかに見えた 「権力を手にした人」 も、結局は、老いて誰にも見向きもされなくなる日が来ることを知ることになる

しかし

人生の目的の達成が死の直前に分かるわけではない

人生の中で

一度でも、目的らしきものを達成できた人は、成功の人生であったと言って良いのではないだろうか

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