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No.022 僕の経歴 波乱・その1

2011/02/09

またまた古い話しである

物語と思って読んで下さい

順風満帆に見えたK病院に、突然大波が押し寄せた
その発端は「新臨床研修医制度」

新制度前は、国家試験をパスした医師の卵たちは、
僕の卒業した大学の場合、母校の医局に入る人が大多数であり、
大学で1から2年間研修した後「関連病院」に赴任していくのが一般的コースであった

即ち大学病院には、研修医達が多く、在籍していたのである

一転「新臨床研修医制度」は

大学以外の市中病院でも研修できる制度であるため、
大学で研修を受ける研修医が激減した

このため、人材の極端に減少した大学医局は「関連病院」といえども、
人材派遣ができないばかりでなく、
医局に医師を戻すべく「関連病院」からの医局員の引き揚げを始めた

K病院も例外ではなかった

大学内科医局は、これまで数十年に亘って内科医師を派遣してきた「関連病院」であるK病院に対して、
内科医師全員の一斉引き揚げを決めたとの、一方的な通達を発した

大学医局と病院側との話し合いの余地など、全く無いかに見えた
「選択と集中」という合言葉が声高に叫ばれていた

どうやら、この場合の「選択と集中」とは、
医局が独自の基準で「選択」した病院に、
「集中的に」医師を派遣することらしかった

内科医が全員、しかも同時に、
K病院からいなくなってしまうのでは、
新規に医師を募集するにしても時間の猶予もなく、
4月からの病院運営が成り立つわけがないことは明白であった

K病院が担っている地域医療の意義に対しても、
残念ながら、大学内科医局は全く関心がなく、
K病院の存廃など、大学内科医局にとっては、どうでも良いことだったのだろう

大学内科医局の見解は

「K病院から内科を引き揚げても、どこかの大学が補充するでしょう」というものであった

これまで「関連病院」として大切にしてきたはずのK病院に対しての、
まるで第三者的なこの発言の真意を、僕は到底理解できなかった

住民に信頼されてきた、60年の歴史を持つ、地域に根ざした基幹病院を、
大学は本気で潰すつもりなんだと思った

地元新聞も、内科医師一斉引き揚げのことを報じ、
住民運動が起こった

K病院は厚労省の指定する教育認定病院でもあった

僕らは、大学から依頼された「臨床教授」や「臨床助教授」として、
大学から派遣される医学生達の臨床実習指導を行い、
多忙な時間を割いて行い、教育病院としての職務を遂行してきた

また、時には非常勤講師として、忙しい日々の病院業務をやりくりして大学へ出かけ、学生講義をおこない、
はたまた医局の開催するサマースクールに参加しては講演をするなど、
大学内科医局に対して、種々の面で貢献してきたつもりであった

K病院が救急医療を含めて、地域に多大な貢献をし、
かつ、症例の豊富さでは他に引けを取らないこと、
実地研修の実が上がることなどは、
K病院に少しでも関与した医師たちは、皆知っているはずだった


それなのに!

まるで、手のひらを返したような扱いを受けたと感じた

ここまで大学医局はするのか!

1つの病院を1医局が潰してしまうことが果たして許されるものなのか

同大学内科医局の出身である自分を情けないと思う一方で、我々を育ててくれたK病院に対して、本当に申し訳ないと思った

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