2011/03/25
わからない時、適切な人に相談すれば素早く情報を得ることができる
僕は、診断がつかなかったり、治療法がわからない時など、その道の専門家に直接電話をして質問(相談)することにしている
いわゆるコンサル (コンサルテーション) だ
おかげで、これまでに、随分知識を得ることができた
自らの専門分野に関することであれば、アドバイスを求められることは決して迷惑なことではない (少なくても自分は)
それどころか、患者の紹介状に対する返書や、
患者の診療を依頼する手紙に対する返書には
「ご紹介賜りまして誠にありがとうございました」
などの決まり文句が必ず書かれている
「ご紹介賜りまして誠にありがとうございました」
の意味が分からなかった
有難がるべきは、むしろ紹介した側、すなわち返書をもらった側ではないのか?
紹介された側は自分の仕事量が増えるだけで、
一体、何が「有難い」のか分からなかったのだ
でも慣例なので、紹介状の返書には、自分もこの文言を書いていたものだ
そして、これらの患者さん(症例)から学んだことは極めて多い
要するに、医師は患者さんから学ぶ
だから、患者を紹介されることは、自分のスキルアップの機会であり、とても有難いことなのだ
そう考えると「ご紹介賜りまして誠にありがとうございました」の意味がわかった
しかし、そんなに深く考えなくても、この文言は、単なる儀礼的な定型文なのだろう
起源はどうであれ、おそらく、医師同士の連携をスムースにする定型文なのだ
受け取った側は悪い気がしないし、お互い様の面もあるからだ
結婚、恋愛、人間関係、就職、職業選択など、人生上の悩み事などに関しては、人に相談はしないほうがよい場合が多い
相談された身になって考えてみればわかる
自分と相談者とは、そもそも別人格であるし、置かれた立場だって異なる
自分のアドバイスが、相談者にとって、果たして役に立つか否か、わからないので迂闊に答えることはできない
「自分だったらこうする」
くらいのアドバイスなら無難かも知れないが・・・
もっとも、相談者だって、必ずしも真剣に正解を期待しているわけでないだろう
それですっきりするということは多い
そういう意味で相談に乗るのなら気楽でよいかも知れない
僕の医療に関する相談もそのたぐいだ
また、例えば、家を建てた人に、その苦労話を聞くことは、自分が家を建てる時にきっと役立つ
要するに、相談するなら、その相談に適した人を選ぶことだ
自分が、その人から頼りにされているということを意味する
「人から頼りにされる」
ということは、
それ自体、とても幸せなことで、計り知れない喜びがある
反面、期待に答えられなければならないというプレッシャーもあるかもしれないが、
そこは相手がどう受け取るかにかかっているので、実は責任感をさほど感じる必要はないのだ