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No.030 ちょっと秘密の話

2011/04/01

昨今、医学界ではEBM(Evidence Based Medicine)がもてはやされ

治療であれ、診断であれ、診療ガイドラインであれ、とにかく何でもEBMが持ち出される

エビデンスとは

一般に、大規模な治験などを行なうことによって、
ある治療法などが、どれくらいの有効性、信頼性があるかを検証する
「証拠」
のことだ

EBMとは

そのエビデンスに基づいて行なう治療のことをさす

したがって、エビデンスに基づかない、
いわゆる
「経験的な医療」
を実行することを、まるで異端のように思う医師もいる

一般に若い医師はEBMを基調に教育されているので、EBMを実践することを好む

エビデンスがあるからという理由で

ある治療を行なえば、あたかも、さも科学的、論理的に見えるかも知れないが、
エビデンスに従うだけの医療は、実は、考える必要がない、安易なマニュアルどおりの医療と言えなくもない

また、エビデンスが知られていない領域のほうが、医学には圧倒的に多い

さて、治療法Aが、治療法Bに対して6:4で優れているという「エビデンス」が出たとしよう

すると、医師の中には、Aは○、Bは×と錯覚してしまう人がいる

すなわち
「エビデンス」
は、これを用いる側の能力が試されるわけだ

「エビデンス」は単なる統計結果に過ぎず

ある患者にそのエビデンスを適用した場合に、果たして良い結果を生むことができるのかについては誰も知らない

エビデンスを知っていることは重要であるが、
知っていることと、エビデンスに
「忠実」
に従った医療を行なうということとは別物だ

何年も、まかり通っていた
「エビデンス」
が、後年、全く別のエビデンスによって見事に覆されたことさえもあった

要は
「エビデンス」
は上手に利用しなければならない

一方、最近では

EBMのことをMBM(Market Based Medicine)と揶揄する向きもあるという

なぜか?

世界の有名な医学雑誌、
例えば米国のNEJM、英国のBMJやLancetは、
臨床医学のレベルの高さでは医学雑誌の中でも最高峰に数えられ、
論文を提出しても、採用される割合は極めて低いことで有名だ

一般にエビデンスとは、このような一流雑誌に掲載された論文に基づいていることが多い

しかし、医薬品の実験データなど

製薬会社の利益がからむ論文となると微妙だ

BMJの元編集者であるSmithRは
「医学雑誌は製薬会社の販売戦略の延長である」
というタイトルの論文を2005年に発表している
(SmithR:PlosMedicine 5:e138,2005)

BMJだけではない

NEJMやLancetの元編集者も同様のことを述べている

製薬企業が自社の製品を販売するため、
都合の良いデータだけを取り上げ、結果の良くないデータを発表しないことはあり得ないことではない

発表しない自由だってあるのだから

しかし、このようにして歪曲されたデータを、一流雑誌に投稿したとしても

編集者はそのことを知らないので、実験法が正当で、データーに矛盾がなければ、雑誌に掲載してしまう危険性が常につきまとう

実験が、実際のところ、どのように行なわれたか、
データーの処理が実際、どのように行われたのか、
さらにネガティブデータが隠蔽されていないか、
などの詳細な調査をすることなど、編集者には到底不可能で、論文提出者の良心を信じるしかない

もちろん、総てが、そういった「偽の論文」であるわけはなく、全く公正な論文だっていくらでもあるだろう

しかし、僕を含めて、それら論文を読む医師の多くは「話半分」と思っていることは確かだ

僕にも、かつて、論文を書いていた時期があった

その時に感じたことは、
「臨床論文の場合、頭の中で筋書きを作り上げ、それに沿ったデーターを捏造し、
あたかも大発見のような偽の論文を作り上げることなどは、
追試のできない分野であれば、露見することもなく、いとも簡単である」
ということであった

勿論、僕にはそんなことをする勇気?はなかったが・・・・

事実、韓国の医学研究者の偽論文が

堂々と、超一流雑誌に掲載された事件は記憶に新しい

最近では、研究者が製薬メーカーから助成金を受け取っている場合は、その旨が論文の文末に記載されている

しかし、一流雑誌に自分の論文が掲載される利益は

研究者側にもあり、(これを「業績」という)
「業績」は少なくても今の、日本の大学教授選考などに有利に働くのである

ところで、日本では

新薬が保険収載されるまでには、何年間もかかる

すなわち、製薬会社が、医師と契約のもと、その新薬を、実際の患者さんに試して、有効性と安全性を確かめ、初めて厚労省がこれを許可するというシステムゆえのことだ

しかし、ここまでして

やっと保険収載に漕ぎ着けた医薬品が、
後日、何年もたって、再評価を受けた結果、全く効果がないことが判明して、市場から消えて行ったという例は枚挙にいとまない

高い薬剤料を支払って、効くと思って、その薬を服用していた人は
「厚労省の認可とは一体なんだったんだ」
と怒って良いはずであるし、支払った当該薬剤費に対する補償を要求したって良いはずだ

厚労省が悪いのか?

いや製薬会社と、契約した医師とが、会社に都合の良いデーターばかりを出せば、厚労省だってそれを見抜けないのだろう

雑誌の編集者と厚労省とは、そういった意味で似ている

こんな実情を知ると

EBMという言葉そのものが、むなしく聞こえてきませんか?

※ 一部、宮田靖志氏の論文(日内会誌99:3112-3118、2010)を参考にしています

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