2011/04/21
誰もが感じ、誰もが1度は口にする言葉である
なぜだろう?
たとえば、10歳の子の1年は10年の人生の10%であるが、
50歳の人の1年は50年の人生のたった2%、すなわち、
人生を積み重ねるほど、これま経験した人生に占める割合が少なくなるので、1年を短く感じるとの考えである
電車の待ち時間、何もしないで、ただ電車の到着を待っていると、電車がやって来るのが、とても長く感じられるが、メールをしたり、本を読んだりしていると、すぐに時間は経ち、気がつけば電車は来ている
つまり、自分にとって何か関心のあることをしていると、時はすぐ経つように感じる
楽しい時間はすぐ過ぎるというのも、このことだ
個人にとって、1日は自分中心に回っている
平凡に思える、同じことの繰り返しに思われる毎日は、実は新しいことの発見の連続である
毎日、何か新しい発見や、出会いや、すなわち、昨日とは違う、何かが、いくつも起きている
同じ1日などありえない
だだ、それに気づかない
だから、1年が速く過ぎるということは、人生が充実している証拠であり、
人生が充実しているほど、一生は、あっという間に終るように感じる
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
だった
これには、様々な解釈があるが、僕は、
「夢のまた夢」
に注目する
すなわち、
「夢のように、あっという間のできごとだった、いや、あれは夢だったのかもしれない」
と解釈する
彼の62年の生涯は、毎日がスリルの連続で、失敗と成功の繰り返し、きっと彼なりに充実した日々であったのであろう
では、どうすればよいのか
何気なく過ぎていくように感じる毎日の中での新しい出来事を
「新しい発見ノート」
として記すのはどうだろう
後に役立つであろうことなら、なおさら記録する必要がある
とにかく、いくらでもある
それを記録に残しておかなければ、やがて忘れてしまい、
結局振り返ると
「同じような毎日の繰り返しの1年だったなあ」
だけになってしまう