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No.077 ゆとり世代

2011/10/11

「ゆとり教育」を受けた世代が、批判の矢面に立たされている

そればかりか、 「おゆとり様」 などと揶揄され、社会的な差別を受けている場面もあるという
しかし、かつては 「新人類」 と呼ばれていた人達が、大人になった現在、 「昨今の若者は・・・」 と不満をぶちまけるのと、何ら変わらないのではないかとも思う

ゆとり教育を受けた世代の

国際的な学力水準が低いとの現状をふまえ、文科省は、自ら打ち出した 「ゆとり教育」 を、 「脱ゆとり教育」 に路線変更を進める
しかし、ゆとり教育が、本当に間違っていたのか?
たとえ、国際的に学力水準が下がろうと、それが悪いことなのだろうか?
学習量が約3割減ったことと、 「テスト学力」 の低下が本当に関係しているのだろうか?
あと十数年後、ゆとり世代が、もしかして大活躍するかも知れないし、今、答えを出すのは、あまりにも性急だ
円周率が 「約3」 だって、台形の面積の計算法を知らなくったって、社会生活には何ら支障がない
ゆとり世代を、ひとくくりにして、 「ゆとり世代は常識がない」 などとも言われるが、 「常識」 は時代とともに移り行くものであり、昔の常識が、今の非常識だったりする

学校の教科のうち

社会生活、職業活動を遂行するに当たって、全く何の役にも立たなかったものが多かったことを、僕は社会に出てから、はじめて知った
そんな教科のかわりに、創造力、問題解決の能力、対人関係のスキル、根拠に基づいて決断をする能力、情報の収集力と分析能力などを身につける教科があったらどんなに良かったことだろうと思った
学校は、テストの点数によって学力を評価するのではなく、もっと大切なことを教えなければならないと思う

大学には専門課程に入る前に、2年間 「教養部」 なるものがあった
しかし、内情は高等学校の授業の延長に過ぎず、僕はこの2年間を 「アルバイトをしたり、遊んだりするために大学が準備してくれたモラトリアム」 と割り切っていた

団塊世代の最後である僕等は 「ゆとり」 とは正反対

塾に通う子こそいなかったが、受験教育の世代であった
小、中、高とも、試験、試験で順位を競い、他人よりも良い点数を取ることが、学校生活の全ての価値であるかのように洗脳され、結果、知識を詰め込んだ人が、良い大学に合格し、大企業に就職した
これらの人達が、戦後、復興しつつあった日本社会のさまざまな場面で活躍するようになり、その後の日本の発展に寄与したことは否めない

しかし、それは詰め込み教育とは無関係であると僕は思う
団塊の世代共通の、体制に対する反骨精神、ゼロから這い上がらざるを得なかったふつふつとたぎるパワーが日本の戦後の繁栄の礎となったのだろう
2度にもわたる世界大戦で、完全に打ちのめされたはずのドイツが、今や欧州の盟主となっているのと通じるところがある

もっとも、団塊世代といっても、その最後尾の僕達は、先輩達のようないわゆる 「団塊魂」 を持たず、少年時代から常に世間からは問題児世代と見られ、学園紛争にも参加せす、ノンポリとして気ままに学生生活を楽しんで来た人が多い世代なので、大きなことは言えない

教育の質や内容は

国家の存続や、繁栄に誠に重要な意味を持つ
江戸末期、日米和親条約締結の際の日本全権、林復斎 (大学頭) とペリーとの交渉、日米修好通商条約締結の際の全権、岩瀬忠震とハリスとの交渉は、両者とも、米国の恫喝に、まったく怯むこともなく、相手を論破することによって、日本の立場を有利に導いた
ペリーもハリスも、彼らに交渉の主導権を握られてしまったという

アジアの国々で、開国に当たって欧米列強の植民地にならなかったのは日本だけだというのは、林、岩瀬のような優秀な人材が当時の幕僚にいたからに他ならない
当時のエリート幕僚達は、高度の情報収集能力を得るような教育を受けていたわけである
ハリスは岩瀬との交渉を終え条約の締結に漕ぎ着けたあと、 「日本は、やがて米国の強力なライバルになるであろう」 との感想を漏らしたと伝えられている

学校では決して教えられなかった

問題点の解決法、重要な事例の選択の仕方、人との接し方など、僕は、すべて、社会に出てから、失敗を繰り返しながら、いわば、見よう見まねで学んだ

これらのうち、少しでも、学校教育で学んでいたら、もっと近道ができたに違いない
ゆとり教育では、従来の 「教科」 の枠にとらわれず、以上のような内容を教えるべきではないのか
自分でものを考え、判断し、行動する能力をつける教育をするべきでないのか

大学入試のための教育は教育とは言えない

大学入学者選抜は抽選で結構
そのかわり、大学入学後の学術活動によっては、卒業できないシステムにすれば、大学の格差は解消するし、学歴社会は崩壊するであろう
そして、何より、日本に本当の意味での優秀な人材が生まれることであろう

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