2011/10/29
ある日の医局の定例教員会議で、議論が白熱した
この時、S先生が、年齢的には先輩である中堅N先生を、とても激しい口調で罵倒した
「あんな言い方をしなくてもいいのに」 と僕は思い、そこに居合わせた全員には一瞬緊張が走った
一体、どんな反撃をするのだろう
注目はN先生に集まった
S先生に対して、おだやかに自論を語ったに留まった
全員、あっけにとられ、かつ、安堵した
N先生の大人の対応の結果、その場は収まり、 「子供の喧嘩」 になりそうだった事態は回避できたわけだ
これは、僕が直接見ていないので正確でないかも知れない
ある日、事もあろうに教授回診の 「大名行列」 中、何らかの議論の末、血気にはやった若い医局員がNを、何と、階段から突き飛ばしたのである
下剋上である
幸い、Nは体が頑丈に出来ていたためか、大怪我には至らず、痛そうな顔はしたものの、この時も何の反撃もしなかったという
そればかりか、Nはその後も、その若い医局員を恨む様子もなく、ごく自然に振舞っていた
そう、Nは、何があっても決して動じない、怒らない、怒った表情すら出さない人なのだ
暴言でさえ刑事事件になりうる現代の常識からすると、突き飛ばすという、まさに暴力事件が院内で起きること自体、そもそも当時の医局は異常ではあったわけだが、Nが冷静な対応をしたことによって、その後、悪い方面に発展することもなく、事態はいずれも終息した
Nが自らの怒りを抑制する卓越した技を心得ていたのか、はたまた怒りの感情を持ち合わせていなかったのか、本人から聞きそびれたので、謎である
いわゆる 「大人」 の対応をする人達である
しかし、現在でも、職場や職種に限らず至る所で、怒りによる人と人との衝突は、たとえ水面下であろうと頻発していることだろう
「アンガーコントロール」の項で書いたように、自らが生きていくために、また種族を維持するために不可欠な行動である
それに対して、同じ動物の仲間であっても、ヒトの怒りは次元が低い
生きるために必要な怒りなどという大袈裟なものではなく、一時の感情の高ぶりに過ぎない
傍から見て、みっともないし、自分が未熟で器の小さい人間であることを公表するようなものだ
人が怒るのはだいたい以下のような状況下であろうと思う
そもそも、怒りの感情を抱かないように訓練することが解決策の本命なのだが、ヒトは感情の動物であるから、いかにトレーニングしようと、これが、なかなか難しく、特に 1.から 3. の場合、たとえ表情には出さなくても、内心、怒りを覚えたり、ムッとすることは多いはずだ
けれど、せめて 4.から 7. は自己管理で克服しようと思う
1. は、「所詮相手は他人、こちらのことなど分かるはずがない」 と割り切る
2. は、「他人にはあまり期待しない」 (これは後輩のY子先生から教わった)
3. は、感情的になる前に 「智恵を使って、理不尽を解消させるべき対策を練る」 などで対処すると良いのではなかろうか
自分と同等、もしくは自分よりも上の立場 (色々な意味で) の人に対して抱く場合が多い
したがって、相手を上から目線で見ると、結構我慢できるものである
「未熟で、かわいそうな人なんだなあ」 と
勿論、心の中で