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No.096 年号の数え方

2011/12/12

「2671年もそろそろ終ろうとしている」

などと言ったら、「何のこと?」と問われるだろう
2671年は、西暦2011年の皇紀表示である

「皇紀」 とは

初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする
当時の日本は弥生時代で、神話時代でもある
「皇紀」 は、江戸時代後期に国学者が用い始めたとされるが、太平洋戦争中に、国民の民族意識の鼓舞や、戦意高揚のため広められ知名度が高まった

特に、対米開戦の昭和16年は

皇紀2600年に当たることから、祭典行事が行われ、 「金鵄輝く日本のおー、栄えある光身に受けてえー、今こそ祝えこのあしたー、・・・」 で始まる歌、 「紀元二千六百年」 も作られた
かつて、僕の母がこの歌をしばしば口ずさんでいたので、当時子供だった僕は聞き覚えて、今も歌える
母は、昭和16年に15歳であり、当時、何度となく、この歌を聞かされたり歌わされたりしていたのであろう

もっとも、この歌は、替え歌の方が有名で、 「金鵄あがって十五銭、栄えある光三十銭、今こそきたるこの値上げ、紀元は二千六百年、ああ一億の金は減る」 と、戦費調達による当時のインフレの様子を揶揄したという(ウィキペディアによる)

「皇紀」 は

現在、正式に廃止されたわけではなく、今でも用いられている場面もあると聞く
すなわち、今、日本には、少なくとも3つの年号が存在するのである

さて、日本では

西暦が導入される前までは、主に、元号(年号)で年号を数えた
日本が独自の年号で年を数えるようになったのは、あの大化の改新、西暦 645年で、この年が「大化元年」である

以後、年号は目まぐるしく変わった

明治以後は1天皇1元号制となっているが、明治維新より前は、天災だの、疫病の流行だの、さまざまな理由によって、年号は、短くて数年、長くても十数年で変わった
当時の人々は、年号を数えることがさぞ大変だったろうとも思うが、もしかしたら一般の民は年号など必要のない社会に生きていたのかも知れぬ

情報伝達手段が人力に限られていた当時、たとえば、年号が新しくなったとして、京の都から東北の村民にまで、そのことが知れ渡るころには、次の年号になっていたなんてこともあったことだろう

さて、現代

日本の実質二重の年号制は結構悩ましい
特に、未来のことを言う場合、西暦と日本の年号は混同しやすい
例えば平成25年と2025年など、単に 「25年には・・・」 などと、言ってたら混同してしまわないだろうか?

このあいだ、ある人が

「リニア新幹線は2年後には開通するそうですね。もうすぐで楽しみです。」 と僕に言った
実は2025年を平成25年と聞き違えたのだろう

少し前までは

明治維新以後の出来事は、日本の年号で表示することが一般的で、 「平成○○年生まれ」 とか、 「昭和○○年没」 とかと言っていたものだが、最近では 「 1982年生まれです」 などという会話があちこちで聞かれる
また、テレビのテロップは、必ず西暦表示となっている

我々が日本史を学ぶ際でも

年号は全て西暦表記であり、鎌倉幕府の誕生を 1192年と覚えるが、決して建久 3年とは覚えないし、関が原の戦だって 1600年であり、慶長 5年とは教わらない
明治元年が慶応 5年であることなど、誰も関心がない

正式な書類でも

最近になって西暦を用いる書式が目立ってきていて、これらの社会現象を見ると、年号は徐々に西暦表示に移行して行くことを予感させる
「50年代」 といえば言うまでもなく、 1950年代を指すではないか

「大正ロマン」とか 「大正デモクラシー」、 「昭和を感じるね」、 「昭和歌謡」 など、今でも普通に使われている言葉は大切にしなければならないが、グローバリゼーションが進む中、そろそろ、わが国も 「正式表示は西暦」 と統一してはいかがなものだろうか

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