2011/12/15
「親友」 の定義は明らかではないが、僕に限って言えば、本当に親友と思っていた人は、中学時代の K君と大学時代の I君の2人くらいだった
過去形にしたのには訳がある
友情とは、若く、純粋で多感な時期に、学校という集団生活において、初めて芽生えるのかも知れない
以後、大人になってからも 「親友」 であった K君
中学時代は、悪ふざけの天才である K君となぜか気が合った
K君とつるんで、様々な悪ふざけをした想い出がある
K君は、いつも僕の味方であった
お互いに連絡を取り合うことはなかったが、気がついたら、彼は某有名企業の管理職についていた
よく二人で、あるいは当時の友人達を交えて、飲みに出かけたりもした
彼は社交的、積極的で、誰とでも仲良くできる、そして、常に前向きな考えを持ち、楽天的で、一緒にいるだけで、なぜか心の和む存在であった
大人になっても、管理職になっても、僕の前では、彼は中学時代と少しも変わっていなかった
彼とは家族ぐるみの付き合いとなり、彼の家族と、僕の家族と合同でバーベキュー大会をしたり、彼の甥の下宿の面倒を見たり、彼のお母さんが病気になった時は、病院を紹介したり、見舞いに行ったりもした
「家電製品を購入してくれないか」 と、飲みの席で僕に頼んだ
彼の話によると、何でも、彼の会社では、本業とは別に、あるプロジェクトの一環として、社員が、色々なメーカーの家電製品を、個別販売していて、その販売実績が自身の業績に反映されるのだという
何でもしようと思ったので、即、購入することを約束した
それは確か、テレビ+カラオケマシーンだったと記憶している
本当は、僕の家にとっては全く要らないものであった
でも、それは口に出さず、 「優れもので役に立っている」 と、嘘をついた
家には掃除機が2台あり、新たな掃除機は不要であっが、これも購入した
その後、彼は、事ある毎に、僕を飲みに誘って来た
しかし、その席での話題の最後には、次の家電製品の購入の依頼があった
家電製品を買う覚悟はあったが、飲みに誘われる時は、必ずと言って良いほど、最後には家電製品購入依頼の話が出て、それも、少しも恐縮するわけでもなく、ごく当たり前のように僕に頼むようになった
「僕はいいように利用されているだけなのかも知れない」 とも思ったが、 「親友」 の頼みだし、 「仮にそうであったとしたって別にいいじゃないか」 と自分に言い聞かせ、あまり気にしてはいなかった
家には、次第に、彼から買った家電製品が増えていった
「重要な報告がある」 との内容であったと思う
僕は、また、 「飲みに行こう」 との誘いだと思い込んで、 「後でいいか」 と思っているうち、日々の忙しさにまぎれ、返信することを忘れていた
電話をして来る訳でもなく、彼からの連絡は一切なくなったが、僕はそれを、特に気にしてはいなかった
「彼は気まぐれな奴だからな」 などと思って
グレーの縁取りの年賀状辞退の葉書が、彼の奥様から届いた
その文面を見て僕は唖然とした
それは、「夫が死去したので、年賀の挨拶を遠慮する」
との内容であった
葉書は、単なる印刷であり、型どおりの挨拶状であるから、死因など、詳細は記載されていない
また、何故、58歳という若さで死んだのか、死因は一体何だったのか、聞きたい気持ちと、あの時、彼からのメールを見て、すぐに電話をしなかったことの後ろめたさが加わり、遂に、夫人に連絡をすることもなく、それ以来、結局、そのままとなってしまった
実は、家電製品購入の依頼などではなく、もしかしたら自らの病(?)についてであったのかも知れないと思うと、なぜ自分は電話をしなかったのかと、悔しい思いで一杯である
今日、それを使いながら、ふと、 K君を思い出した
そして、「親友」とは一体何なのか、考えている