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No.168 謎の女

2012/07/26

20年、いや、あるいは、もっと前の話である

Kさんは 70歳代前半くらいだったであろうか

定期的に通院している、僕が担当の外来患者であった
彼女は、いつも派手な洋服をまとい、高級そうな装飾品を、幾つも身につけて、堂々とした態度で外来に現れた

そして、毎回、次のような世間話をするのである

  • 曰く 「自分は、○○外務大臣の夫人と友人関係にあり、先日、会食をした」
  • 曰く 「○○銀行の頭取○○さんの夫人とは気さくに会う仲である」
  • 曰く 「自分の息子は、会社を経営していて、数百人の従業員をかかえ、社長として活躍している」
  • 曰く 「息子の結婚式と披露宴はハワイでしたが、その際、列席者全員を運ぶため、特別の飛行機をチャーターしたので、うん千万円かかった」

など

自分が、各界の有名人や権力者と親しく付き合っていることを強調する話や、自分がいかに裕福かを誇示する内容の話が多かった

僕は、これらの話を、はじめは面白半分に聞き流していた

「また妄想が始まった」 と

しかし、政界に関する裏情報が

詳細で、かなり真実味を帯びていたり、毎回、話の内容が全くブレず、前回の続きから話が始まることなどから、 「ひょっとしたら、本当に只者ではないのかも」 と、つい思うこともあった
それでも、彼女は自分のことに関しては一切語らず、一体何をしている人か、僕は全く知らずにいた

ある年末、彼女は

自宅の掃除中に突然倒れ、病院に運ばれたが、亡くなった
死因は急性心筋梗塞であった

家族に連絡しようと探したが、全く見つけることが出来ず

「社長」 であるご子息に、やっと連絡がつき、彼一人だけが霊安室にやってきた
しかし、その男性は、とても 「社長」 という いでたちではなかった
勿論、彼は本当に 社長なのかも知れない
しかし、名刺も渡すことなく、彼はうつむき気味で佇んでいただけだった
そして、周囲の医師や看護師に目を合わせることもなく、なにも喋らず、小さく一礼をして、遺体と共に病院を後にした

結局、彼女のことは闇の中である

どこまでが本当で、どこからが作り話であったのか
それとも、ずべてが彼女の創作であったのか

「作話」 という医学用語があるが

これは、軽い認知症などの人が自分の忘れたことを隠すために、忘れた部分をつじつまの合うような話を作り上げて埋めることをさし、Kさんの例には当てはまらない

誠に、不思議な体験であった

さて、話は変わる

小説家は、実際にありもしないことを、さも実話のように物語を展開していく

読む側も、虚構と知りつつ、つい、自分が主人公になった錯覚に陥り、はまり込んでゆく
天才作家とは そういうものだ

作家は、かけ出しのころ 自分の体験を基にしながら物語を作る

いわば私小説に近い作品が多い
私小説レベルであれば、恐らく誰にでも書くことができるだろう

しかし、売れっ子になるころには

自分の全く経験しない物語を、次々と創作してゆく
登場人物の会話のディテールにも、すばらしいリアリティーがある
これは、天才的妄想能力がなければ出来ないことで、一般人が小説家になれない所以でもある

Kさんは、もしかしたら 偉大な小説家になれたのかも知れない

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