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No.196 家族

2012/12/19

「家族は社会の最小単位」 と言われる

しかし、それは、あくまで社会構造上の話
家族は何人構成であろうと、 「社会」 ではない

例えば喧嘩

一般の成熟した社会で、大人同士の喧嘩はありえないし、あってはならない
しかるに、夫婦喧嘩、親子喧嘩は決して珍しいものではない
「こんなこと言ってしまっても、いつかは、何とか修復できるだろう」との、心の緩みや甘えがあるからこそ出てしまう、相手を傷つける言葉

その意味からすると

「家族」 は、少なくても、 「大人の社会」 ではなく、 「身内」 に過ぎない

血のつながりのない他人同士が、夫婦となって家族を作る

彼らは、自分にとっては血のつながりのある 「子供」 を介して繋がる
夫婦は離婚をすることにより法的には他人になれるし、別の人との再婚も可能
しかし、婚姻関係にあった時に出来た子供を介して、一生繋がる宿命でもある

社会を結びつけるものが 「利害関係」 であるとすれば

家族を結びつけるものは 「情」 と 「遺伝子」 、それに 「民法」 である
だから、却って厄介だ
関係を、スパッと切ることは、たぶんできない
いくら 「勘当だ!」 と叫んでみても、民法上での親子の縁は切れない
相続排除が認められなければ、子には相続の権利もある

さて、 「親の愛は無償の愛」 などと言う

崇高に聞こえるのだが、果たしてそうだろうか?

自分の子は、自分の遺伝子を受け継ぐ、いわば自分の分身である

したがって、親の、子に対する愛は、自己愛そのものと解釈できる
だから見返りを期待しないのは当然であろう

たとえば、子供が優秀であれば、親は嬉しい

あたかも、自分の評価が上がったかに勘違いする
すなわち、優れた子供を持てば、親はその子を自分と同一視してしまうから嬉しい
多くの母親の本音は、 「自分の子供だけが優れていて欲しい」 のであって、他人の子供は、自分の子供よりも出来が悪いほうが、むしろ嬉しいのではないだろうか?

立派な人物として社会的には尊敬される人も

こと、自分の子に関しては、内心では他人に自慢したい場合も多いことだろう

自分の子供の写真を他人に見せる人がいる

見せられた側は 「かわいいですね」 と答えることを期待されていると思うから、お世辞を並べるに決まっている

これらの行動パターンは

他人から見れば、大人である社会人の行動として愚かに写る
だから 「親ばか」 という表現がある
恋は盲目というけれど、親心も 「盲目」 で、周囲が見えないのだ

年賀状に子供の写真を印刷するのも、同じ心理が働いている場合がある

しかし、人は他人の子供に対して、さほど関心が無いものだ

さらに、子供が欲しくて、いろいろ努力しても子供に恵まれない人は、焦りとせつなさを感じるかも知れない

家族の写真をつけた年賀状は

今の家族構成がわかるなど、アットホームな雰囲気が漂うから、僕は好きだ
ただ、きっとそうでない思いをする人もいるだろうから、全員にそれを送るなんてことはしないで、相手を選んで出すことが優しいのではないだろうか

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