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No.253 余計な一言

2013/08/09

あの人が好き

この人が嫌い

恐らく

多くの人が自分以外の人に対して、このような感情を持っているはずだ
それが、たとえ自分の家族であっても

多分、他者を好きでも嫌いでもない場合が大部分であろう

しかし、もし、好き、嫌いに分かれる原因があるとすれば、それは一体何かと考えてみた

それは 「言葉」 ではないだろうか

作家、加藤廣は

その著書 「明智左馬守の恋」 の中で次のように記述している
「上役は、いつの世でも、言葉足らずか、一言多いか、で知らぬ間に部下の心を傷つける」

つづけて
「それが、時として上役自身の運命まで変えてしまう」

人は

自分を評価する言葉を発する人を好きになるし、逆に自分に批判的な発言をする人に嫌悪を感じる

家族は、お互い遠慮がないから、相手を批判したり、否定する言葉を投げかけることがままある
だから家庭内では夫婦喧嘩や親子喧嘩が絶えない

そして、それが犯罪にまで発展することだってある

職場であっても学校であっても

長く付き合っている仲間であればあるほど、互いの遠慮がなくなり、言葉を使って自分の思いを他者にぶつけ合うものだ

そこに好き、嫌いの感情が生まれる

事務的かつ一時的にしか付き合いのない取引先の人を

嫌いになったり、好きになったりすることは、まずないのとは対照的だ


「言葉がいかに大切か」 という例をあげよう

ある午後の病棟

僕は、検査のオーダー伝票を、いま確かに書いたはずであった

しかし、ナースは

「伝票が書いてないからお願いします」

と言う

確かに書いたはずだから、捜せばどこかにあるに違いない
しかし、捜している時間がもったいないので、仕方なく、再度新しい伝票に必要事項を書き込んだ

僕が書き終わた時、そのナースが言った

「先生、ありました」

そら見たことか、である

それに対するリアクションの正解は何だろうか?

「あっそう」

「やっぱりあったんだ」

くらいが無難な所だろう

しかし、僕の発した一言は

「伝票が一枚無駄になったね」

皮肉とも批判とも聞こえる、この一言が余計なのだ

ナースはきっと捜していたに違いないが、たまたま見つけられなかっただけなのだ
だから、この余計な一言で、多分、そのナースは僕を嫌いになったことだろう

いつも顔を合わせている仲間だからこそ、つい気が緩んで本音が出てしまった

ごめんなさい

別に、全ての人に好かれようとは思わないけれど

言わなくていいことを言うのは、決して賢くないと、すぐ気づいたが遅い

一度口から出た言葉は回収不能だ

では

この 「余計な一言」 を発しないためには、どうすればよかったのだろう?

僕の心の中では

そのナースが伝票を見つけられなかったために、ある程度の手間をかけて、再度、同じ伝票を書くはめになったことに対する小さな怒りがあった

「余計な一言」 は、そのイラつきを発散させるために、反射的に発せられたのだろう

余計な一言を発しないためには

こんな些細な出来事如きでは、イライラしないように自分の器を大きくすることだ

僕は人間が小さい

「他者を許す」

という姿勢がないと、人には好かれない

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