2014/02/26
スポーツ選手の経歴として、 「銅メダリスト」 というのは、どうも格好が良くない、と僕は思う
世界で 3位なのだから、大したものなのに だ
実際の銅メダルは青銅製だというが、銅は 銅
銅は普通の工業用金属に過ぎず、錆びれば緑青が出る
金と銀は貴金属なのに、 3位だからといって、何も 10円玉にも使う、ごく普通の金属の銅を当てることはないだろう
世の中には、 金貨、 銀貨、 銅貨がある
すると、メダルの由来は硬貨なのだろうか?
世界の 四位、 五位なのだから、偉業を達成したことに大きな違いはない
だから、せめて 5位までメダルを授与したって良いではないか
二位に格落ちすることなど、別に問題ではない
相撲の世界では、嘗て大関が最高位だった
しかし、明治になって、番付では大関の上が横綱とされ、今では 「横綱」 が角界のトップ力士として定着した
オリンピック創始期には 一位が銀メダル、 二位が銅メダルだったという
1904年から 一位が金メダルとなり、あとが順に 二位、 三位となったとのこと
メダルだって、時代とともに変遷して良いのだ
かつて、大学の 「助教授」 と呼ばれていた人達が 「准教授」 と名称変更になった
たかが呼称の違いだけなのに 「准教授」 のほうが、格上に感じたものだ
自分ながら素晴らしい、と思って、知人に話した
すると彼はこう言う
「そうなると、メダルは殆ど銀色ですね」
金、 銀、 銅 は、色の違いが大切だったのかも
削り出しのアルミメダルは、ピンクか何かに着色すれば綺麗だ
競技とは直接関係ない所で伝統にこだわり過ぎる
いっぽう、競技ルールや競技種目は、ころころと、勝手に変え放題である
タイムや距離を競う競技は、数値という公正な基準を使うから良い
しかし、フィギュアスケートとか体操とか、少数の審査員の点数で順位を決めるのは如何なものか
減点の基準が一応あるとは言え、人による採点には、主観や、その他諸々が入り込む余地がある
少数の審査員で決めるのはやめて、もっともっと大勢の審査員の総合点数で決めるべきではないのか
今のオリンピックは、改善しなければならない点がいくらでもある
オリンピックの 「メダル」 と、 「ノーベル○○学賞」 は、世の人が考えるほど権威あるものとは全く思っていない
その中で、たまたま、タイミングや、運が良かった人だけが、有り難く戴くもの
それがメダルやノーベル賞に過ぎないのだと思う
今日も、僕はまたひねくれている