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No.354 父親と息子

2014/11/27

父 ・ 國雄に毎年届いた、達筆の筆文字の年賀状

これは I氏からのものである

國雄は昭和 61年、不慮の出来事により、 69歳で死去したが

その後も I氏と僕の間で年賀状のやり取りは続いた

父の死後、しばらくして、I氏が、はるばる僕の自宅を訪ねてきた

I氏は、太平洋戦争の真っ只中

南方洋上で敵艦載機の雷撃を受けて、ある輸送船が沈んだときのことを、僕に語った

國雄と Iさんはその輸送船に乗っていた

いざ沈没という時、自分が弟分として可愛がっていた兵士 Iさんが泳げないことを知っていた國雄は、血で滑る甲板の上で Iさんに、やっと手に入れた自らの救命胴衣を渡し、自分は海に放り出されて、自力で泳いだ

長い漂流の末

國雄は運良く、救命胴衣をまとった Iさんとともに駆逐艦に救助された
この沈没では多くの将兵が戦死や溺死した

I氏は父のことを命の恩人と敬愛し

終戦後も年賀状のやり取りを続けたという

若き日の父が

自分の命を守るだけで精一杯だったはずの激戦のなかで、自分を犠牲にしてでも戦友の命を守ろうとした正義感に、僕は父の意外な面を知って少なからず感動したのを覚えている

父が死去するまで、僕は家庭内での父しか見ていなかった

家庭内での父はカッコ良いわけでもなく、特に正義感が強いわけでもなく、政治の批判をしたり、他者の批判をしたり、グチをこぼしたり、家庭を大事にするあまり他者に排他的な面を見せたり、母にわがままを言いたい放題だったり

とにかく、教えられることや、尊敬できる面など少しもなかった

いや、僕は、父を反面教師として育ってきたといっても過言ではない


初対面の I氏は、僕を見るなり

「國雄さんに そっくりだ」

と 絶句した

僕は自分が父と似ているなどと

一度も感じたことがなかったから、 I氏の言葉は意外だった
戦地での父の写真は一つも残っていないから、僕は当時の父の風貌を知らない

しかし、その時の僕の年齢は

戦時中の父の年齢とほぼ同じくらいのはずだったから、本当に似ていたのかもしれない
I氏は、きっと僕の中に、若き日の國雄を見たのだろう

DNAの繋がりは争えないものなのだろうか

父は理不尽なことが嫌いで

戦時中、上官にたてつくことなどしょっちゅうであったという話はしていた
しかし、彼は戦地での勇ましい話や苦難の話など、あまり語りたがらなかった
それでも、南洋の地でいくつもの野戦を運と智恵とで生き抜き、だからこそ今の僕があると思うと、その智恵、生命力・忍耐力・体力を尊敬することができる今である

最近のこと

家内が 長男の電話について 僕に語った

「話し方があなたにそっくりで間違えそうだ」 と

遺伝子は受け継がれる

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