2015/02/04
同じように、 「可処分時間」 ということについて考えて見る
人々の生活を便利にすることを目的とする場合が多い
「自動化」 のもたらすものは時短である
70年前と比べて、我々の可処分時間は随分延長された
可処分時間が延びることは、寿命が延びることと イコールである
乾燥機つき洗濯機 や 電子レンジ、 電気炊飯器、 ルンバなどのロボット掃除機 は 家事時間を短縮する
新幹線や リニア新幹線は移動時間を短縮する
インターネットは、情報入手に要する時間や、買い物に出かける時間を短縮する
在来新幹線と比べて 1~ 2時間の時間短縮をするといわれるが、たかが 1~ 2時間とあなどってはならない
1~ 2時間であっても、それだけの可処分時間が増える = 健康寿命が延びる、と考えるべきだ
現在、仮に 1日 5時間の時短になっているとすれば、 1年間に 1825時間、活動できる日数にして 114日、睡眠時間を含めた日数に換算すると、何と 171日が延びることとなり、 1年は 1年半に延長されたこととなる
すなわち、寿命が 1.5倍になったということだ
大多数の人は便利になることに大賛成のわけがここにある
今後も自動化は進み続ける
料理名と完成希望時刻を入力して食材を投入すれば、帰宅時には暖かい料理が出迎えてくれる
そんな時代はきっと来る
多くの分野で人手が不要となる
人は可処分時間が増えるが、この余った時間を楽しく有意義に使うことができる人は幸せだ
しかし、たっぷりとある余暇時間を何に使えばよいのか、わからない人々が増えるだろう
可処分時間を何もしないでぼんやり過ごせば、何となく時間は過ぎてゆく
しかし、これでは生きているとは言えず、寿命を短くしているようなものである
忙しい、忙しいと言っているのは幸せなことなのだ
「自分は 1日有意義な仕事をした」 という満足感に浸ることも、幸福の一つだろう
しかし、将来、仕事量は確実に減る
「人生は死ぬまでの時間潰し、いかに上手に時間を潰せるかがポイント」
と考えてきた
それが、全ての人にとって幸せなことであるとは、限らない