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No.374 泣く

2015/03/27

僕は

母が約 2ヶ月間の昏睡状態をへて 61歳で死去した時、悲しいという感情を抱かなかった

父は、母の 3週間後に、約 1週間の闘病期間をへて、当時まだその存在が知られていなかった、輸血が原因の GVHDで死去したが、このときも、あきらめの感情こそあれ、悲しいという感情を抱くことはなかった

僕は、毎日病状を観察して、冷静に予後の判定をしていたから、死亡は当然の帰結であり、そこに感情の入り込む余地はなかった

別に、両親と不仲であったわけではない

むしろ、逆で、とても可愛がって育ててもらったといっても良く、だから両親のことは、この上なく好きであった
それなのに、である

だから、僕は自分が感情を持たない、何か特殊な生き物なのだろうかと悩んだ

両親が亡くなったのは

僕が医者になって 7年目、 37歳の時だったと思う
すでに、幾人もの患者の臨終に立会い
「人はこのように死ぬのだ」
といった、客観的な見方しかできなくなっていたのだろうか?

一般に、親が死去した場合

親がいくら年老いていたとしても、また、予期された死であっても、子は悲しむ
これは、いままで僕が医者として幾人もの人の死に立ち会ってきた感想である

号泣する人もいれば、じっと悲しみをこらえている人もいる
しかし、 「泣く」 と 「悲しむ」 とは少し異なるのではないか
すなわち、悲しいから泣くことはあっても、泣くから悲しいとは限らないのではないか


僕は、今までに

受け持ち患者が亡くなって、お見送りの時、不覚にも涙が止まらず、言葉にならなかったことが幾度かある

しかし、それは、生前の患者との心の繋がりからくる悲しさというよりは、自分が患者を助けられなかったことに対する患者への申し訳なさ、自分の力量不足に対する悔しさ、人の命の虚しさなどに帰来するもののような気がする

もしかしたら僕だけではなくて

医者は自分の愛する家族であっても、病気で亡くなった場合、悲しいという感情を抱かない人が多いのではないだろうかとも考える

人の死に慣れているからではなくて、病の場合、ヒトはどのような過程をたどって死亡するのかを逐一知っているから
一種の職業病とも言える状態なのかも知れない


両親が亡くなって 28年が経過した今でも

父や母は、しばしば夢に出てくる
夢の中の父や母は、いつも元気で、笑顔で僕と会話をしている

両親の肉体は滅んだが、その姿はいつまでも僕の心の中で生きている

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