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No.389 博士号

2015/07/02

医学領域で「学位」といえば「医学博士」 (いがくはくし) のことだけれど

1991年以降に学位を取得した人は 「医学博士」 ではなく、 「博士(医学)」 と、名称が変更になった
まあ、実質は変わらないわけで、 1991年以後に博士になった人も、一般的に伝統的な名称の 「医学博士」 と名乗っているのが現状である

かつて、医者にとって学位は

「取らないと何となく気になるが、取ったからといって、別にどいうこともないもの」
と言われ続けてきた
ただし、国立病院 (今の独立行政法人国立病院機構) の部長以上の職につくには学位が必要であったとされ、国立病院に就職して出世しようと思う人は学位を取る必要があった

「取ったからといって別にどうということもない」 といわれながら、僕が卒業した頃は大部分の人は学位を取得した

学位を取得するには

大学の研究室 (医局) に所属して、研究テーマを与えられて指導者のもと、ひたすら実験をする毎日を、数年間過ごす

そして新しい知見を得たならば、それを論文にして専門誌に投稿する
運よく論文が専門誌に採用されれば、あとは語学試験を受けて合格し、学位審査となる
審査は、所属する講座の教授が主査、あと 2名、他講座の教授が副査となり、論文を中心に質疑応答を繰り返しながら、結局はほぼ全員が合格となり、晴れて学位が与えられる、という仕組みであった

この研究生活の数年間は

「研究医」 という名の無給医であることが多いため、一般病院の夜勤をやったりして生活費を捻出していた人が多かった

それだけの時間と努力をしてまで獲得した学位であるが、

多くの人は結局、 「やはり学位は何の役にも立たなかった」 というのが、率直な感想ではなかろうか
長年勤務医を続けてきた僕も、そう思う一人である

シニカルな人は言う

「学位を持っていることは臨床能力が低いことの証明だ」 と
なぜなら、研究生活の数年間は臨床医ではないわけで、それだけ実地医療経験が不足しているから、ということらしい

今は学位を取得する人が減っていると聞く

それは、専門医制度が確立して、臨床医としては専門医資格を取ることの意味が大きく、学位を取る意味は薄れているからなのかも知れない

では僕らの世代の 「学位」 とは一体何だったんだろう?

数年間の研究生活は医師人生の中で全く無意味な時間だったのか?

いや、決して無駄ではなかった

そう思いたい
特に僕に関して言えば、もともと化学実験が好きであったから、研究生活は苦ではなかった。

仮説を立てて、実験して結果を出し、論文にして投稿する

それはそれで面白く、有名雑誌に採用されるものなら、天にも昇る喜びとなる

論文作成作業をしているうちに

おのずと医学統計学の知識が身についているから、 MR (各製薬メーカーの情報提供員、すなわちセールスマン) の示す、自社の薬の優れた部分のデーターを鵜呑みにすることがなくて、どんなデザインで研究を組み立てたのか、またサンプル数はどれだけなのか、有意差の有無、など疑問が次々に浮かぶ

論文作成過程での

データーの改竄 (かいざん) など、いとも簡単であることも、自分が研究に携わったからこそ、とことん知っている

いくら有名な専門誌に論文が掲載されたからといっても、

例の スタップ細胞事件でわかるように、論文内容が真実とは限らないこともわかっている

英文の臨床論文を斜め読みにできるようになるメリットだってある

そうだ

そんなことより、もっと重要かも知れないのは次の事実かも知れない

将来、歳を取って無職になったとき、名刺の肩書きに 「医学博士」 と書けることだ

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