2015/09/15
おそらく、学校時代には多くの人が親友を持っていたと思う
閉鎖社会、たとえば軍隊、学校などの運命共同体ではお互いの利害や価値観が近いから親友ができる
実際、 「戦友」 とか 「学友」 などの単語がある
特に男性の場合、親友と呼ぶにふさわしい友はできなくなる
「職友」 とか 「社友」 などという言葉が存在しないことが、それを端的に物語っている
個人個人が別々の人生を歩むようになり、自分の人生に他人の入り込む余地など無いのだろう
学生時代の親友も、社会人となり、お互い全く異なる環境に置かれると、会う機会が減り、互いのことを考える時間もなくなってゆく
という発言は意外にも高い好感度をもって受け入れられる
誰だって大人は親友を持っていないので、共感を得るからだろう
大人になってからも親友 (友人) 関係を続けていたり、新たな友人関係を築く人が多い
これはもともと女性の方が男性よりも社会性が高いことによるのかも知れない
「同窓会」 とか 「同期会」 の集会に集まる人達が減っている、いや、これらの集会自体が激減していると聞く
一つは中学 1年 A組の同級会
これは、卒後十年ほど経った頃だったか、嘗ての級友であった K君と 2人で発案して、当時のクラスメートの所在を探し出し、担任も招待することに成功し、やっとの思いで開催した会であった
もう 1つは、昔勤務していて、当時はすでに廃院となっていた S病院の同窓会で、これは招待状が来たから行った
会の ディテイルは今でもはっきりと記憶に残っていて、皆も僕も楽しそうに振舞っていたにもかかわらず、今思い返してみて見ても、決していい思い出ではない
大体、久しぶりに会う嘗ての友は、それぞれ全く異なった人生を歩んでいるわけで、話題が合うわけもなく、友人が自分の現況を語ってくれても興味も共感もなく、結局、一緒に過ごした古い共通の話題に花が咲くだけで、会が終った後は虚しさだけが残るからだ
同窓会 : 「過去を懐かしむだけの、未来志向がない人々が集まる会合」
とでもいうことになろうか
やはり、友人たちとの楽しかった日々の思い出は、そっと胸にしまっておくのがよい
時のスピードはますます加速していて、それに伴って文化も変容を重ねる
人と人との繋がりが薄くなって、みな個人を大切にするようになった
ひと昔前はよく見られた社員旅行 (病院では病院旅行とか医局旅行などが普通にあった) とか職場の忘年会 (病院では各部門が芸を披露した) 、新年会、歓送迎会など、最近ではめっきり減った
ショーワ中期人 Homo sapiens showae としては少し寂しい気持ちもあるが、面倒くさくなくて良いとも思う
過去を懐かしんでいる暇などない