2011/10/05
個体維持の本能と、種族維持の本能とが備わっているという
しかし、人間に限れば、前者の方がはるかに強い
誰でも自分が一番大切なのであり、自分が死んでしまっては元も子もない
しかし、一般にボランティア活動は、滅私精神ではなく、究極は自分のために行う行為であり、 「他人が自分の活動で喜んでくれた、自分が役に立つことができた」 という自己の満足感、達成感が魅力なのだろう
ひょっとして、僕だけかも知れないが
「情けは人のためならず」 という諺は、ヒトの打算を見事に言い当てている
自分の価値、能力、人格が高いからと勘違いしているかも知れないが、ちやほやする側は、自分が利用するため、自分の利益のためにそのように振舞っているに過ぎない
だから、権力を失った人は、手のひらを返したように、誰からも相手にされなくなるのが常だ
皆、自分が一番大切なのだ
誰も自分を犠牲にしてまで、他者を救いたいとは思わない
しかし、自己愛は決して非難されるべきものではない
それは、ヒトという動物の 「個体維持」 という本能なのだから
親にとって子は自分の分身だから、別に高潔なことでもなくて、自己愛に近い
「親ばか」 という、自分の子を自慢したくなる心理も同じで、形を変えた自分の自慢だ
自分を自慢する行為であるから、大人気ないと思われても仕方ない
かつて懇意にしていた、遠くの病院の勤務医 X先生に電話で治療上の参考意見を聞きたくなり、たぶん午前中は外来で忙しいと思い、午後まで待って電話をした
その病院の事務員が取り次ぎ、僕の名前を X先生に告げてくれたにもかかわらず、事務員からの回答は以下のようであった
「今、手が話せないから出られない」 と言われました
当然、あとでX先生から電話が来ることもなかった
僕は、もう一度、別の時間に電話しようとも思ったが、いつ電話したらいいのか、わからないし、きっと迷惑なのだろうと、思い留まった
こんな時、僕だったら 「今は忙しいけど、あとでこちらから電話します」 と答えたに違いない
X先生は、 「本当に重要な用事なら、後でまたかけてくるだろう」 位にしか考えていなかったのだろうと思う
自分にメリットがあるうちは付き合うが、そうでなくなりゃ関係ない
人間の、いや X先生の本心を垣間見た感じはしたが、別にいやな感情は湧わかなかった
X先生の勤務中に電話をかけた僕が悪いのだから
また、きっと僕は彼の中で、それだけの存在でしかなくなっていたのだから
ヒトが異性を好きになる心理は、種族維持本能のなせる仕業だ
だから自然界ではオス同士が戦って、勝ち残った強いオスだけが、いくつもの強い種を残す
ヒト、たとえば日本の大名の一夫多妻制にもこれと通じるものがある
非婚化傾向があることを、以前このブログで書いたが、対照的に 「婚活」 なる言葉も創生された
ヒトが、人生のある時期、真剣に恋愛対象を見つけるため努力するのは、 「動物」 から離れて独特の進化をとげたヒトにも、種族維持の本能がまだ残っているからなのだろう